11月23日
「いらっしゃいませ。足立さん、お久しぶりです。」
「こんにちは、武志くん。今日、アルバイトなんだってね。」
「アルバイトというよりも、修行の一環です。違う角度から考えるには、違う角度に立ってみるのが一番だねって話になって、それで、一日だけ店を手伝わせてもらうことになったんです。」
「それで、仕事は順調?」
「それは、朋子さんに聞いてください。」
「よくできてるよ。もっとも、日曜日はランチもやってないから、お客さん少ないけどね。」
「朋子。休日の戦略を変えてみたら?」
「日曜日はこれくらいでいいの。忙しすぎるカフェなんて、落ち着かなくてイヤ。」
「もったいないなあ。俺なら休日限定でラーメン屋かイタリアンの店にしちゃうけど。」
「裕介が日曜だけオーナーになるなら、貸してあげてもいいわよ。」
「おもしろそう。本気で考えとく。」
「友達だけど、ビジネスはシビアに対応するからね。いつものでいい?」
「はい、お願いしまーす。」
「武志くん、コロンビア淹れて。ポットで。裕介、武志くんのコーヒー試してみて。見習いだから100円引き。」
「それいいアイディア。『見習いコーヒー、オール100円引き』ってメニューに入れてみたら?
で、武志くん、カフェの店員になって、何か気づいたことあった?」
「平日よりお客さん少ないけど、けっこうやることってあるんですね。
開店前の仕事から手伝ってるんですけど、
実際にお客さんに飲み物出す仕事より、準備の仕事の方が多いんだな、
というのが率直な感想です。」
「考えてみればわかることだけどね、
でも、『知ってる』ことと『理解する』ことは違うし、
『理解する』ことと『実感する』ことも全く違う。
武志くんは、半年経って初めて、このカフェを違う角度から眺めているんだね。
いい経験になるよ。
ところで朋子、バイト料はいくら?」
「朝8時から、夜の7時までで4000円。」
「時給400円くらいか、それ、労働基準法違反じゃない?」
「いいんです。僕がお願いしたんだし、お金もらうつもりもなかったんですから。」
「そういうこと。
日曜日はバイトを雇うほど忙しくないし、
はじめはバイト料なしで働いてもらおうと思ったんだけどね。
でも、働いてお金もらう経験もさせてあげようという親心。
2食まかない付きだし、妥当でしょ。」
「なんか割り切れない思いもあるけど、そういうことなら頑張って。」
「お待たせしました。コロンビアです。」
「ありがとう。
ねえ朋子、普通にうまいよ。
『実はかなりすご腕の見習いコーヒー、オール100円増し。』で売り出すか。
武志くん、コロンビアのうんちく、何か言ってみて。」
「・・・とても・・・風味豊かで・・・いけてる豆でございます。」
「ぶはっ!なんにも伝わらねー!」
「裕介、茶化しちゃだめでしょ。ほんとに100円増しにするよ。」
「ごめんごめん。朋子のことだから、そこまで指導してるかもって、ちょっと期待しちゃった。」
「豆の話、朋子さんから時々聞いてて、
その時は『へえー、そうなんだ。』って思って飲むんですけど、すぐ忘れちゃいます。」
「朋子はね、すごい勉強家なんだよ。
若いオーナー集めて勉強会したり、有名店やメーカーにいって話を聞いてきたり、
かなり頑張ってる。
そのへんの話も今度聞いてみるといいよ。」
「はい、そうします。」
「いらっしゃいませ。ほら、武志くん、仕事仕事。」
「じゃあ僕は、静かに武志くんの働きぶりを拝見するとしましょう。武志くんファイト!」
◇◇◇
「お疲れ様でした。一日やってみて、どうでしたか?」
「今、どっと疲れが出たって感じです。部活とは違う疲労感です。」
「慣れないから気疲れもあったでしょ。
お客様商売だから、知らない人と会話するのが普通だしね。」
「緊張しちゃって、自分でも動きがロボットみたいだって感じました。」
「そう?私からはそうは見えなかったよ。」
「店を開ける前と、閉店した後も、いろんな仕事があるんですね。
全部ひとりでやってる朋子さん、尊敬します。」
「ありがと。
今日は武志くんの友達が来てくれて、新規お客さんの開拓になったから、
私としても実りある一日だったかも。
午後から『高校生スペシャル』よく出たねえ。」
「まさか陸上部がツアー組んで来るとは思いませんでした。
いつも一緒のメンバー相手でも、状況が変わると緊張するものですね。」
「それも良い経験。それで、違う角度から考える勉強にはなったかな。」
「はい、次に喫茶店やレストランに入るとき、確実に見方が変わってると思います。」
「違う立場に自分を置いてみると、違う視点でものごとを考えることは容易にできるよね。
いろいろな体験をすることで、思考の視野を広げていきたいな。
でも、最終的には『経験したことではないけれど、相手のことを想像して考える』力を身に付けること。
そうでないと、『しってること以外は考えられない。」という悲しい人間で終わっちゃうから。」
「前に裕介さんと朋子さんから出された『その人の物語を考える。』ということ、
今日できるかなと思ったけど、仕事で精一杯で、考えるゆとりもなかったです。」
「そうよね、お客さんが来た時、店主としては、
先に『何を注文してくれるかな。どれくらい滞在するかな。』と考えちゃうけど、
『このお客さんは、何を求めて店に来てくれたんだろう。』と考えて、
その思いに応えるサービスを提供する。
物語を作る必要はないけど、お客さんの気持ちを想像する。
この気持ちを忘れたら商売にはならないわね。
はい、今日のバイト代。」
「ありがとうございます。生まれて初めて働いてもらったお金です。」
「何に使うの?」
「それは全く考えてないです。」
「初めての給料で、ご両親にプレゼントする話なんか、よく聞くよね。」
「朋子さん、さりげなくプレッシャーかけてきますね。」
「家族で食事に行くのもいいかもね。」
「なんだか、自分のために使えなくなっちゃいそう。」
「はっはっは、これも『違う視点』というものね。」
今日がいつもと同じ24時間だなんて、信じられないくらいの
ほんとうに長い一日が終わった。