9月8日 じいちゃんの家
「朋子さんに聞いたんだけど、東京で倒れた人助けたんだって?」
「おお、その話か。しかし朋ちゃんもよく覚えているもんだ。もう50年も前の話だから自分でも忘れてたよ。」
「なんか、周りの人が助けてくれなかったって。」
「まあ、確かにそうだけど、『助けを呼べなかった。』と言った方が正しいかな。」
「どんな状況だったの?」
「あれは大学の授業に行く途中の列車の中だったな。列車の中はさらっと混んでて、つり革につかまって立ってる人もいたけど、隣の人とくっつくほどでもない感じ。じいちゃんは立ってた。となりに立ってたのがその女性でな。なーんかゆらゆら揺れるのよ。あれ、おかしいなあこの人って思ってたら、バターンて倒れちゃってね。一瞬みんな固まったね。その時じいちゃんがその女性を抱えてな。『ちょっと席あけて!』と言ったら数人が立ってくれて、とりあえずシートにあげたわけ。女性は意識がなくて、いやーじいちゃん焦っちゃった。
東京は駅と駅の間隔が短いからね。すぐ次の駅に到着して女性を下したのよ。その時『僕、カバン持ちます。』って言ってくれた青年がいてね。助かった。その青年は『駅員さん呼んできます。』って階段を走って降りる。わしは女性を抱えてえっちらこっちら降りていく。その時、なぜか女性が暴れ出して、危うく階段から落っことすとこだった。体勢がくずれて尻餅ついた状態で、でも女性をしっかり抱えて離さず、その場で頑張ってたわけさ。
その時ね、たくさんの通勤客が通り過ぎて行くんだけど、こっちに気づいてるのに誰も助けてくれないんだな。その時は『みんな冷たいなー。あー恥ずかしいなー。変態か痴漢みたいに思われてるかな。』なんて思ったよ。まあ、痴漢だと思って無視したんじゃないとは思う。きっと、『助けるべきかな。でも、助けてくれって言わないし、まあ大丈夫かな。』くらいの気持ちだったんだろうね。そう考えると、『助けて下さい。ちょっと協力して下さい。』と言えなかったじいちゃんにも責任はあるかな。
それから、青年が駅員さんを連れて来てくれて、事務室に運び、そこから救急車で運ばれていった。
まあ、話はそんなとこかな。その時に思ったのは、『人って、あんまり多いと逆に動けないものなんだな。』ってこと。もしこれが、山小屋までまだ1時間以上かかる登山道で起きたとするよ。登山しているじいちゃんが倒れた女性を抱えて山道を降りてるとする。すれ違った人は間違いなく『大丈夫ですか?何すればいいですか?』って聞くよね。これで無視したら、ほぼ犯罪だよ。もちろんそんな状況なら、じいちゃんだって『助かったあー!手伝って下さい!』って言うはずだから、人のことばかり批判できないけどね。」
「でも、そんなにたくさんの人がいる中で、どうしてじいちゃんは動いたわけ?」
「じいちゃん偉いべ?」
「うん、すごいと思う。」
「この状況は、たまたまじいちゃんの隣の人が倒れちゃったからね。じいちゃんが一番動き易かったと言える。でも、女性が倒れた時、取り囲むように数人いたけど、結果的にじいちゃんが動いた。こんな時に動けるのがじいちゃんの自慢かな。偉いべ?」
「だからすごいって言ってるじゃん。」
「へへへ、もっと誉めて。」
「でも、じいちゃんはなんで動けるわけ?ほっとけば別の誰かが動いたはずでしょ?」
「武志、朋ちゃんのところで勉強してるのは「楽しい人生」だったよね。」
「うん、でもじいちゃんは楽しくて動いたわけ?」
「楽しいって言っちゃうと、人の不幸を喜んでるみたいで抵抗あるなあ。それとはちょっと違うんだな。もっと、自分の人生をトータルで考えて、『ここで知らんぷりするより、助けた方が自分にとってもいい人生だな。』みたいな感覚かな。実際、『あの時はいいことしたなあ自分』て気持ちが残ってるし、自分で自分を褒めてやれるからね。もちろん倒れた人を目の前にして、『おりゃー、自分の人生をよくするために助けてやる!』なんて考えてないけどね。」
「じいちゃん、昔からそうだったの?」
「これは断言しよう。まったく違う。若い頃のじいちゃんは悲しくなるくらいの自己中でな。結構ふてくされた雰囲気を醸してた時もあったのよ。いわゆる「不機嫌を武器にするタイプ」だな。それが、少しずつ勉強をして、「この場合はこうすべきだな。」って思って動けるようになったのよ。それこそ血のにじむような修行と鍛錬の毎日。」
「じいちゃんの大げさな言い方、かなり前から通じてない。」
「やっぱりだめか。」
「念のため聞くね。じいちゃんどうやって勉強したわけ?」
「知りたいか。」
「まあ、一応聞いておこうかな。」
「知りたいんだろ?」
「まあ、いちおうね。」
「もっと、知りたーい!教えてえー!って言葉出ないんか?」
「いいよ、それなら朋子さんに聞くから。」
「朋ちゃんも知らない秘密じゃ。」
「やっぱり朋子さんと考えるからいいや。聞かないで帰る。」
「わかったわかった、じいちゃんの負け。お願い、喋らせて。」
単純なじいさんだ。
「実はな、読書なんだ。」
「へっ?どくしょ?」
「そう、どくしょ!」
「予想外。」
「でしょー、聞いてよかったでしょー。」
「読書で勉強って、どういうこと?」
「じいちゃんな。昔から本読むの好きだった。いわゆる小説ね。その物語の主人公って大抵かっこいい人だったりすごい人だったりする。読んでて『ああ、この行動かっこいい。』とか『こんな風に生きてみたい。』とか思うわけ。その瞬間は少し損くさくても、最後にはいい感じになったりすることが多い。小説だからね。そんなお話に影響を受けて、じいちゃんの思考や行動が少しずつ変わっていった。もともと自己中だったから、変化することにも抵抗がなかったというのもあるみたい。
いやあ、喋ってみると、じいちゃん単純だなって再認識するな。ウルトラマン見た後でウルトラマンの真似してる子供と同じ思考だからね。」
「ヒーローじゃない主人公もいたでしょ。」
「もちろん。その時は『うわー、こうはなりたくない。』って思った。」
「おもしろい考えだね。じいちゃんありがと。」
「小説の主人公ってね、普通に周りにいる人より考えも行動も極端なんだな。だから、近所の人や友達とはまったく違う刺激を受けるんだ。CM風に言えば、『じいちゃんの人生の半分は、それまで読んだ本でできている。』てな感じ? なっ、じいちゃん偉いべ?」
偉いかどうかは判断できないが、じいちゃんの行動が極端な理由を垣間見た気がした。