未来をより良く生きるために

10 6月 言葉の力①

6月3日

「朋子さん、こんにちは。」

「いらっしゃい。さて、今日は何を出そうかな。」

「あっ、今日はきちんと注文します。」

「無理しなくていいのよ。」

「いえ、大丈夫です。実はじいちゃんからコーヒー代もらっちゃいました。いつもご馳走になってるって話したらじいちゃん、しまったって顔して、『授業料を払うべきだが、朋ちゃんは受け取らないだろう。せめて飲み物はきちんと注文しなさい。』って、小遣いくれたんです。」

「気をつかってくれてありがとうと、先生に伝えてね。それから、たまには顔を出してねって。」

「はい、わかりました。マンデリン下さい。」

「はい、かしこまりました。マンデリン、一応苦みとコクの代名詞で、ファンも多い豆。インドネシア産だよ。説明はここまで。この豆については私も勉強中。」

「朋子さんでも勉強中ってことあるんですね。」

「人間いくつになっても勉強。でも、これは苦痛じゃないよ。自分が選んだ仕事だし、新しい知識と技術を身につけて、もっとおいしいコーヒーを出すのって、もう趣味に近い感覚かもね。」

「仕事が趣味っていうか、趣味が仕事になるっていいですね。」

「それがいいかどうかは人それぞれかもね。仕事と趣味をしっかり分けて生きてる人も多いし、それもいい人生だと思うよ。私の場合は、なんとなくこの仕事を母から受け継いで、少しずつおもしろさが見えてきたというところかな。はい、マンデリン。」

朋子さんの言葉通り、強い苦みを感じる。このコーヒー好きかも。

 

「ところで朋子さん、前に『無理って言わないことにしてる。』って言ってましたけど、もう少し詳しく聞きたいなと思ってました。」

「いいところに気づいてくれたね。実は気づいてくれること、ちょっと期待してたんだ。」

「僕、試されてたってことですか。」

「まあ、そうとも言えるね。でも、大切なことだから、いつかは話したいと思ってたこと。

私ね、言葉の力って想像以上に大きいものだと思ってるの。簡単に言うと、言った言葉の通りになるということ。無理って言ったら本当に無理になるし、できるって言ったら本当にできるようになる。武志くん、これ信じられる?」

「よくわからないけど、100パーセントは信じられないというのが正直な感想です。オリンピックで金メダルを取ると言ったら全員がその通りになるとも思えないし、言葉だけでうまくいくのなら人生楽だなって思います。」

「そうよね。言葉にしたことがほんとに全部実現したら楽よね。それは私も同感。

でもね、少なくとも金メダルを取った人は『自分は金メダルを取る!』って決めた人たちの中にいる。全員が成功するはずはないかもしれない。それでも、それができると言い続けた人の中に成功する人がいるはず。『金メダルなんて絶対無理。』って言う人は成功しない。武志くんはそんな経験、ない?」

「そうですね。練習で走ってるとき、『ぜったいついて行ってやる。』って思ってるときは頑張れるけど、『ああ、もう無理だ。』と思った瞬間からどんどん遅れていくという事はあります。でも、それが『言葉の通りになる』ということなのかはちょっと疑問もあります。体力の限界が来て、ついて行けなくなったから『無理だ。』って思っちゃうのかもしれません。」

「なるほどね。無理と言ったから無理になるのか、無理だったから無理と言ったのか、ここは重要ね。」

 

 その時、やよいさんが店に入ってきた。

「武志くん久しぶり! 高校生活、満喫してる?」

「こんにちは。満喫かどうかは自信ないけど、一応順調です。勉強以外は。」

「じゃあ私と同じだ。今課題の提出終わったところ。最後の最後で教授から『ほんとうにこれがあなたの全てですか?』なんて言われて、でもあれ卑怯だよね。悪いとこあるなら『ここが甘いからもう少し頑張ろう。』とか言ってくれれば納得できるけど、『これが全てですか?』なんて、誰だって言えるよ。きっと提出者全員に同じこと言って反応見てるのよ。あー、そう考えるとますます怒りが湧いてきた。よっぽど『あなたの課題ごときに私の全てなんて出しません。そんなに私暇じゃありません。そもそもすべてを出し尽くすに値する課題ですか?』て言ってやろうと思った。いや、思っただけ。そんな言えるわけないじゃん。それで『もう少し頑張ってみます。』という流れになっちゃって、でも何をどう手直ししたらいいかもわかんないし、だって、私はこれで結構いけてるって思ってるわけ。で、そこからは友達と共同作業。あーでもないこーでもないって手直しして、期限ぎりぎりになって出してきたとこ。でも、自分的には手直しする前の方がいいと思うんだよね。なんかいやーな疲労感、あーもう無理。」

 

最後の言葉に、朋子さんは吹きだした。

「へっ?なに?」

「やよい、あなた絶妙のタイミングで登場してくれたわ。」

「だから何?」

「いえ、絶妙の言葉と言った方が正しいわね。」

「もう、いじわる!いいよ、武志くんに聞くから。ねっ!」

「無理っていう言葉を使わない、ということを話してたんです。」

「そうよ。無理って言っちゃうと、本当に無理になっちゃうっていう話。」

 

「でも、それって逆じゃない?無理だから無理って言うんじゃないの?」

「人間、どう頑張っても無理なことってあるから、無理な時は無理でもいいと思うよ。誰かに『一緒にエベレストに登ろうよ。』なんて言われたら、無理ですってきっぱり言うし、お店に30人の予約が入ったらたぶん無理ですって言うよ。でもね、今よりおいしいコーヒーを淹れるのは無理とは言いたくないし、自分の絵が売れるようになることはないとも言わない。もちろん無理っていわなくても成功する可能性は低いけど、無理って言った瞬間可能性がゼロになると思ったら、言いたくない言葉だな。」

「ふーん、まあ確かに『無理』を連発する友達いるけど、イライラしてくることある。お前いいかげんにしろよ。そのまま自分で穴掘って埋まってしまえって。」

そういえば、自分の周りにもいる。やたらと「無理!」を連発する人。

「少なくとも、私たちは『無理』を言わないように心がけたいものね。」

「それは賛成!じゃあ、さっきの言葉訂正するね。『今日はもう無理!』」

 

◇ ◇ ◇

 

電車の中で考える。

無理と言ってしまうと本当に無理になってしまう。

でも、無理と言わなかった人だって全員がうまくいくわけじゃない。

できるって前向きに言ったって、それだけで世の中うまくいくはずはない。

やっぱり努力するって必要だよな。

じゃあ、自分は今、何を努力してるんだろう。

その前に、何ができるようになりたいんだろう。

 

テストで全教科100点取れるようになりたい。

5000メートルで県優勝したい。

 

うわ、両方とも『無理!』って言っちゃいそう。

やっぱり努力か。

 

◇ ◇ ◇

 

「ねえ父さん、父さんにとって無理なことって何?」

「あるよ。母さん以外を愛すること。ねえ、今の聞いてたぁー?」

ここはスルー。

「父さんは『無理』って言葉使わない方?」

「うーん、基本父さんに不可能はないからな。できないのではなく、それを選択しなかっただけと考えることにしてるから、あまり使わないかもしれないな。」

おやっ、内容は多少ふざけてるが、表情はいつになく真面目だ。

「無理だと思う前に、本当にそれは無理なのか考える。もし本当に無理だとしたら、同じ成果を上げる別の方法はないかとも考える。別の方法があればそれをやればいい。

例えば、1泊2食つきで10万円する高級旅館に泊まりたいけど無理だったとする。しかし、目的は「風呂に入ってゆっくりして、うまいもの食ってごろごろする。」なのだから、6800円の民宿でそれができるのなら、高級旅館に泊まらなくても良いということになる。だからそれは高級旅館に泊まれなかったのではなくて、その必要がないから選択しなかっただけということなのだ。よって父に不可能はない。ちなみに、今、もう一本のビールを飲むことも不可能ではない。」

 

不思議だ、父さんが偉大な人物に思えてきた。

 

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小説「高1の春に」

自己紹介

縁あってたくさんの中学生と接してきましたが、まだ人生の準備運動の段階であきらめている子のなんと多いこと!そうじゃないよ。人生は中学卒業からが本当のスタートだよ。いくらでも自分自身と自分の人生を変えられるよ!
そんな思いをもってページを立ち上げた中年のおじさんです。

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