未来をより良く生きるために

20 8月 冒険③

8月13日

6時、特にアラームをセットしたわけでもないのに、いつも通りに目が覚めた。テントからはい出し空を見上げる。今日も曇り空。自転車乗りにとって最高の天気と言える。「よし、ついてる。」と口に出してみる。

はじめにやるのはデッサンだ。今日の題材はもちろんテント。丁寧に、丁寧に描く。あちこちでテントから出てきた人たちに挨拶をしながら、今日は20分かけて描いた。テントもよく描けたけど、サイトの草もなかなかの出来栄え。すぐに写真に撮り、やよいさんにメール。まさか今日も描いてるとは思わないだろう。日常とかけ離れた環境で日常と同じ行動をするのも、なかなか洒落てる。

ペットボトルに水を詰め、パンを食べたら出発だ。今日はテントの中に荷物を置いていく。昨日は背負って走ったリュックは荷台にくくり付けた。これなら楽に走れるだろう。

自転車は仙台の街を通過し、海に向かう。途中、24時間営業の食堂でハムエッグ定食をいただき、身体も目覚めた。筋肉痛はない。しかも海まで平坦な道路が続く。

4号線バイパスを横切り、仙台東部高速道路の下を通過。ここから先は津波が押し寄せた地域だ。ここはどんな災害に見舞われたのだろう。どんな復興が進んでいるのだろうか。心が緊張し始める。でも、これを見るためにここに来たんだと言い聞かせ、ペダルを踏む。

海岸の近くに、家は一軒もない。大型ダンプが行き交い、あちこちで造成工事が進んでいる。唯一残された小学校には「ありがとう」の大きなボード。もちろんここに通う子供はいない。

そして8時半過ぎ、荒浜海岸に到着した。

たぶん震災後に作られたコンクリートの堤防に登り、海を見た。灰色の海は思ったより穏やかで、多くの命を奪った津波をイメージすることはできない。それでも、振り返ればそこには家のない集落跡が広がっている。

「はあー。」とため息をつく。それから太平洋にタッチ。そして再び堤防を登り、海を後にした。

集落跡の隅にはおおきな観音様。傍らには震災で亡くなった町民の名を刻んだ石板。「四歳」「八歳」なんて年齢を見ると、どうしようもなく悲しくなる。

観音様に手を合わせ、珍しくお賽銭を入れた。

集落は、ほとんど草原になっているが、よく見ると家の土台だけが残っている。そのコンクリートの区割りは部屋の間取りを示している。ここは玄関、ここはきっと台所、ここがリビング、2階だけはわからないけど、きっと2部屋くらいはあったのだろう。こんな想像のできる土台が、何十軒も続く。ほんとうにやるせない。

 

海沿いの一角は、きれいなスポーツ公園になっていた。せっかくだから管理人のおじさんに話を聞こう。

「すみません。この公園は、いつできたんですか。」

「ここはね、去年できたばっかり。まだ新しいでしょ。震災からずいぶん経ったけど、ようやく完成ってとこかな。お兄さんはどちらから?」

「山形からです。」

「山形からって、あの自転車で?」

「はい、昨日仙台に着きました。」

「へえー、それはすごいね。大変だったでしょ。で、今日は荒浜に来てみたの?」

「震災の後、どんな様子なのか実際に見たほうがいいと思って来てみました。」

「そお、ここもね、昔はけっこうにぎやかな町でね。ほら、仙台で唯一の海水浴場だったから、たくさんの人が遊びに来たわけ。もっとも、荒浜って言うくらいだから海が荒くてすぐ遊泳禁止になるところだったけどね。でも、今はその面影は何もなくなったなあ。 あっ、山川さんいらっしゃい。今日は一回?一日券にする?」

「1回でいいよ。」

「はい、200円ね。ところでお兄さんもパークゴルフする?山川さん、この子ね、山形から自転車で来たんだって。こんな若者が自転車でやってきてだよ。仙台の街で遊ぶんじゃなくて、津波で何もなくなった町を見に来たっていうんだから、大したもんだよね。」

「へーそりゃすごいや、兄さん一緒に回ろう。佐藤さん、もう一人分俺が出すから。」

「でも、僕パークゴルフなんてしたことないですし。」

「あんなの年寄りの息抜きなんだから、若い子にできないことはないよ。」

 

僕は、パークゴルフのクラブとボールを手に、山川さんとコースに出た。山川さんの話は震災当日の様子から復興の問題点を通りぬけ、仙台の名物料理や見どころと、尽きることはなかった。

 

朋子さん、こんにちは。武志です。

 仙台の東にある荒浜海水浴場に行ってきました。海水浴場と言っても今は遊泳禁止で誰も泳いでいません。津波に襲われた町なので、荒浜小学校の校舎(今は使ってません。)以外は何もない所です。この場所は、10m近くの津波が来て、建物を全て流してしまったということで、土台のコンクリートだけが寂しそうに広がっています。震災後に建てられた観音様の脇には亡くなった方の名前も刻まれていました。(僕と同い年の人もいました。)

 

 この辺りは危険区域ということで、住宅は建っていません。緑地公園が少しずつできているところです。その一角に、グランドゴルフ場がありました。ここで生まれて初めてグランドゴルフを体験したのです。一緒に回ったのは仙台に住む山川さんという、もうすぐ80歳になるおじいちゃん。公園の管理棟で友達になりました。ちょっとすごいでしょ。

 

 山川さんとゴルフをしながら、仙台の街のこと、震災のこと、いろんな話を聞きました。地震があった当日の生々しい話、寒くて暗い夜の不安、翌朝に見た光景、親戚の家での生活(山川さんの家も流されています。)、復興の歩みの遅さと記憶が薄れることの早さ、他にもいろいろな体験を語っていただきました。何だか自分も震災を体験したような気分です。

 

 あの震災から、もう6年半です。あの時僕は小学3年で、卒業式の練習が終わったところでした。大きな揺れに恐怖しながらも、正直命の危険は感じませんでした。でも、隣の宮城県、それも海沿いは本当に大変だったのですね。震災の事実はもちろん知ってたし、太平洋側の災害の大きさも知っていました。でも、知ってたけど知らなかった。言葉で知ってたけど気持ちは無知だった。そんな感覚です。

 

 山川さんの話はショッキングでしたが、当の山川さんは、とても明るいんです。震災の前に住んでいた場所だから、何かと理由をつけて来てみたいとのこと。だから、去年オープンしたグランドゴルフ場にもすぐに飛びついて、今は協会にも加入しているそうです。自分が山川さんと同じ年齢で被災したら、同じように前向きに生活できるだろうか。自分は人生の大きな壁にぶち当たった時に、笑って乗越えられるのだろうか。そんな強さをこれから身につけられるのだろうか。いろいろ考えさせられる一日でした。

 

 ところで、メールの文章がずいぶん長いと思いませんでした?スマホでこれを打つのに何時間かかったんだろうって。ご安心下さい。パソコンで文章を打っています。今の気持ちを早く伝えたくて、ネットカフェの中で打ってます。

 いえ、白状すると午後からかなり暑くなって、どこかに避難しようと思ったらネットカフェ見つけたのでした。もちろん初めて入りましたが、ドリンクバー飲み放題なので、短時間なら元は取れそうです。(入店して早くも30分経過。この環境、今までで一番時間の大切さを感じる場所かも。)

もう少し休んで、コーラを2リットルくらい飲んだら、仙台の繁華街も見学してからキャンプ場に戻る予定。明日は、笹谷峠を越えて帰宅します。

 

武志くん、こんばんは。

 もうキャンプ場に戻ったのかしら。(この時間にまだ街中で遊んでるってことはないよね。)

 すごく充実した旅をしているみたいね。ちょっとうらやましいです。(でも、私は自転車で行こうとは思いません!)

 震災の年の4月半ば、私も石巻に行きました。ボランティアが目的です。その時の私の仕事は民家の家の中の泥の掻き出しや家具の移動。私も武志くんと同じで、悲惨な状況はテレビの映像で知っていたけど、現地に行って初めて知ったという衝撃がありました。(今でもその時の様子はしっかり覚えています。)

 

 あれから6年が過ぎて、私も震災のことを過去のものとして考えていたのかもしれません。武志くんのメールを読みながら、「自分にできること、自分がすべきことは本当にないのだろうか。」と自問しています。

 自分自身を大切にすること。自分を高めることは何より優先して取り組むべきです。でも、そんな努力と「周囲に目を向け、自分にできることを見つけて実行する。」という行為は、両立できるはずだし、両立すべきですね。今度は「思いやりと行動」について話がしたいな。

昨日のメールでコーヒーをおごると書きましたが、ケーキもつけちゃいます。

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小説「高1の春に」

自己紹介

縁あってたくさんの中学生と接してきましたが、まだ人生の準備運動の段階であきらめている子のなんと多いこと!そうじゃないよ。人生は中学卒業からが本当のスタートだよ。いくらでも自分自身と自分の人生を変えられるよ!
そんな思いをもってページを立ち上げた中年のおじさんです。

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