9月24日 献血ルームにて
「おはようございます。献血にご協力いただきありがとうございます。こちらの受付票に氏名、住所を書いて下さい。」
「あのー、初めてなんですけど。」
「はい、大丈夫ですよ。まず、身分証明になるものを何かお持ちですか? ええ、保険証で大丈夫ですよ。高校1年生、ですね。献血できる年齢になってすぐ来て下さるって、とってもうれしいです。」
「高校生って、あまり来ないんですか?」
「残念ながら10代、20代の人は年々減ってます。30代以上の割合が多いんですよ。」
「そうなんですか。」
「だから、若い人が来てくれると、本当に感謝の気持ちでいっぱい。」
それから、健康状態のアンケート、血圧測定、お医者さんの問診と、様々なステップを経て、ようやく献血可能と判定された。その後、血液型とヘモグロビン濃度を測定し、いよいよ献血だ。16歳の僕は200㎖になる。
先に和子が呼ばれた。いつもの事みたいに「はあーい。」と返事をして、リクライニングのイスに腰かける。看護師さんと楽しそうに話す姿を見ると、「こいつにプレッシャーという言葉はあるのだろうか。」と感心する。そんな僕も実はそれほど緊張していない。提供する方も受け入れる方も、ここにいる全員が「献血」という目的を持っている。良い意味で「みんな同じ。」という事実に安心している自分がいる。隣に座ってる足立さんも、雑誌をパラパラめくりながら自分の順番を待っている。余計な話は一切ない。
「長倉武志さん。」
「はい。」
自分の順番が来た。指定されたイスに座り、右腕を出す。
「初めてですね。よろしくお願いします。注射で気分が悪くなったこと、ありますか?」
「いえ、たぶんありません。」
「親指を中に入れてギューッと握って。最初チクッとします。ごめんなさいね。」
腕に近づいてくる針を見て、ちょっとだけ怯んだ。針の穴が見える。太い。
「はい、力ゆるめていいですよ。手はしびれませんか。」
「大丈夫です。」
透明な管を通って、自分の腕から血が流れていく。ここから血を取ったら、指先に血が行かなくなるんじゃないかな。いや、きっと静脈だから、これから心臓に戻る血だよね。それとも動脈かな。あまり考えすぎると気分が悪くなりそう。とにかく、命の危険はないのだから、落ち着け武志。この程度で貧血とか起こしたらかっこ悪すぎる。
僕の血が入ったパックを揺らしていた機械が、パタンと音を立てて止まった。
「終わりましたよ。針抜きますね。このテープ、しばらくつけておいて下さいね。休憩所で飲み物飲んで、休んでからお帰り下さい。どうもありがとうございました。」
「武志お疲れ。どうだった。」
「まあ大丈夫。針の穴まで見えた時、一瞬来たこと後悔したけど。」
「やっぱり? 私も針の穴見て気絶しそうだった。」
「和子が言ってもリアリティなさすぎ。看護師さんと楽しく話してたじゃん。」
「確かに。まあ衝撃的だったけど、気絶は、ないな。」
しばらくして、足立さんも献血が終わった。
◇ ◇ ◇
「それでは、和子さん、武志くん、献血おめでとう。そして、ようこそ大人の世界へ!」
フルーツジュースが入ったグラスを合わせる。しかし、アイスやフルーツが山盛りの大きなグラスは「ゴン」と鈍い音を放った。3人で顔を見合わせ、思わず吹き出してしまう。
「二人が大人になったら、ワイングラスで乾杯しような。チンって洒落た音たてて。」
「はい、その時はよろしくお願いします。でも私、お酒飲めるのかな。両親ともお酒強くないみたいだし。」
和子に限ってそれはないと思ったが、ここでは言わない。
「その時は、またここでゴンって乾杯しよう。」
「で、献血初体験の感想は?」
「僕は、思ったより大したことなかった、という感じです。」
「私もそう。よーしやってやるって意気込むほどでもなかったなって思います。」
「ということは、続けていけそうって事でいいかな。」
「はい、大丈夫だと思います。ところで足立さんが献血をするきっかけは何だったんですか?」
「きっかけなんて、何もない。学生の頃、アパートから大学までの通学で毎日新宿駅を通ってたんだ。新宿駅の西口には、ほとんど毎日献血車がいてね。『A型の血がたりませーん。ご協力お願いしまーす。』って係の人が叫んでいるのよ。でもね、実際に献血する人ってすごく少ないのね。そりゃそうだよね。みんな仕事に行くわけだから、献血してる暇なんかない。でも、見てると受付に声をかけている人もいるんだな。偉い人もいるもんだって思ったね。でも、何回かそんな光景を見てるうちに『自分もあそこで献血しなくちゃいけないのかな。』って思えてきた。それが何なのかはわからないけど、そう思ったんだな。まあ、毎日毎日同じところで『お願いしまーす。』って言葉を聞いてるわけだから、テレビのCMみたいに頭に刷り込まれていたのかもしれないな。
で、あるとき受付で『献血します。』って申し込んだわけ。ずいぶん前のことだから、今日行った献血ルームみたいにきれいじゃなくて、通勤ラッシュの駅前の簡易テントの中で血を少し取られて、『A型ですね。ありがとうございます。血の比重は、わあー、いい血ですね。たくさんいただきますね。』なんて冗談を言われてね。おいおいって思ったね。
献血車の中で実際に血を取られるんだけど、最初に針を見た時は『うわー、針の穴見える!』っていう衝撃。」
ぷっ、針の太さはみんな感じてるんだな。
「看護婦さんに『痛くしないで下さいね。』とお願いしたら、『針刺すんですから、まったく痛くないということはありません。』と笑われたけど、実際にはほとんど痛くなくてね。ああ、これなら大丈夫。続けていけるって思った。
少しして、血液センターから検査結果が届いて健康だってこともわかった。良いことしてみんなに感謝されて、自分の健康状態も教えてもらって、かかった費用はゼロ。もちろん時間という貴重な資産を少しあげたけど、他に損なところもないし、これはいいって思って続けております。はい、説明おしまい。」
「足立さん、今日は400㎖取られたんですよね。」
「そうだよ。」
「くらくらしたりしないんですか?」
「その心配がないから取ってるんじゃないの?今まで気分悪くなったことも、貧血起こしたこともないよ。それからね、400取られてから、こんなことも考えるようになった。もし、自分が大けがして血がドクドク出たとしても、400くらいじゃぜんぜん問題ないんだって。ちょっと想像してごらんよ。牛乳ビン2本こぼした時の量ってすごいでしょ?あれくらいの血が出ても平気なんだって思ったら、『出血によるショック死』なんて起こさないぞ、なんて闘志がわいてくるねえ。もちろん、願わくばそんな経験したくないけど。」
◇ ◇ ◇
「ここのジュース美味しかったろ? コーヒーも美味いんだ。でも、これは朋子になナイショにしてね。」そう言い残して足立さんは先に帰っていった。
「足立さん、いい人ね。」
「うん、足立さんに誘われなかったら献血なんて考えなかったかもしれない。おかげでいい経験ができたってことだね。」
「この半年、武志の様子をみているとね、人間の成長って本人の努力も大切だけど、周りにどんな人がいるかってことも重要なんだなって思った。武志のおかげで私もいろいろ考えたり、素敵な大人に接する機会をもらえて良かったと思ってる。ありがとう。」
「いやいやいや、そう言われると逆にプレッシャーかかるんですけど。」
「まあ、これからもよろしくね。来月の課題も楽しみにしてる。」