5月20日
「この一週間、朋子さんのまねをして、先生のところに質問に行ったんです。」
「苦手な教科の先生に?」
「いえ、全部の先生に一回ずつです。」
「へえー、面白い発想ね。それで、何か気づいたことあった?」
「なんか不思議なんですけど、勉強も面白いかもって思いました。いえ、全部の教科じゃないですけど。」
「もう少し詳しく話して。」
「古文の先生に、松尾芭蕉って一日何キロくらい歩いてたんですかって質問したんです。思いつきで聞いただけなんですけど、先生の方が面白がって、「資料準備しておくから昼休みにもう一度来い」となっちゃって、大変でした。」
「で、芭蕉は何キロ歩いたの?」
「一日16キロずつなんですけど、多い日は50キロくらい歩いたみたいで、かなり体力ある人だなって思いました。もうひとつ意外だったのが、奥の細道って、何となく3年くらいかけて歩いたつもりでいたけど、たった150日だったんですね。」
「面白いね。毎日こんな勉強だといいわね。」
「数学は外しました。先生は丁寧に教えてくれるんだけど、いまいち「よし、わかった!」っていう感覚がなくて。」
「それでも、いろいろな教科の面白さを感じたのは収穫だね。武志くん、今の姿勢があれば『必要がないことと楽しい人生の関係』は解決ね。もう私が話すことはないみたい。」
「でも、朋子さんの話も聞いてみたいです。」
「それじゃ、話をするね。
まず、幅2mの道路をイメージしてね。どこかの草原に一本の道が続いてるの。武志くんはその道を歩いてる。」
「想像しました。」
「その道に、手すりやガードレールはありません。それがないと歩けない?」
「大丈夫です。」
「そうよね。よっぽどの酔っ払いか熱中症で倒れる寸前でなきゃ、手すりなんていらないよね。
では、幅2mの道の両側が崖だったら? しかも、下がかすんで見えないくらいの崖。」
「うーん、高いとこ苦手なんで、僕は無理だって断言できます。」
「たぶん私も。無理っていう言葉は使わないようにしてるけど、これは無理かなあ。」
「手すりあっても無理です。」
「草原の中の道だったら普通に歩けるのに、崖だとあるけないって不思議ね。だって、草原があったって、別にそこを使うわけじゃないんだし、なくても平気なはず。でも、使わないはずの草原がなくなると、歩けないんだよね。」
「そう言われてみれば、不思議ですね。」
「『必要がないもの』の中にも、実は必要なものって多いんじゃないかな。」
「僕にとって、数学や国語の勉強は、実際には歩かない草原、てことですか?」
「高校の勉強が武志くんにとってどんな意味や価値があるかは、私にはわからない。今は武志くん自身にもわからないと思う。でも、自分の人生とはあまり関わらない世界であっても、その世界があることで、自分の道もぐいぐい進んで行けるのかもしれない。
なんだか、抽象的な話だね。
それから、こんなことも考えてみた。
自分の人生、つまり自分が生きていくために、本当に必要なものって何だろう。それは、最低限の食料と水、それから快適な温度くらいかな。それじゃあ、それ以外のものは必要がないからといって全てなくしてみる。そんな人生って楽しいかな。
たとえば、私は趣味で絵を描いている。プロではないから描いても収入にはならない。これって『必要ないこと』だよね。本を読むこと、映画に行くこと、ギターを弾くこと、ちょっとおしゃれして友達と食事に行くこと、どれも本当に『必要なこと』ではない。でも楽しい。
私はこう思ってるの。『必要ないものをたくさん持っている人生が豊かな人生である。』って。
生きていくために必要なことは大切。でもそれ以上に必要のないことも大切。なんてね。」
「言われてみれば、朋子さんの言うとおりだと思います。でも、どうしても好きになれないものってありますよね。できれば自分の人生からなくしたいもの。それもやっぱり必要なんですか?」
「それは私にもわからない。いやーなお客さんと接する時に『これは私にとって必要な事。』なんて冷静に考えてない。なくしたいもの。関わりたくないものってあるよね。でも、その『いやなもの』のいくつかは、自分の考えかたひとつで、『使わないけど大切なもの。」になるかもしれない。もしかしたら、いつのまにか『自分の人生になくてはならない大切なもの』に昇格する可能性だってゼロじゃないよ。」
「学校の勉強がそうなるといいんですけど。」
「それは大丈夫みたい。全部の先生に質問するってすごいことだよ。真似だったとしても自分で試そうとしてるし、しかも自分なりに工夫して改良してるし。武志くんて、実はすごい人物なんじゃないかと思っちゃうよ。」
「ほめられると素直にうれしいです。でも、僕はそんなにすごい人物でも天才でもないです。毎日あれこれ悩んでばっかりだし、うまくいかないことも多いし。
あっ、それから先生への質問は一回ずつなんで、これから続けるとは思ってないです。」
「気が向いたら時々やってみるといいよ。ほんのちょっとの努力で、意外なほど考えが変わるときもあるからね。」
◇ ◇ ◇
「必要ないものをたくさん持っている人生が豊かな人生」か・・・。「必要のないもの」って、つまり趣味ってこと?そう簡単に言い切っていいのかな。仕事以外に趣味があったり、いろいろな活動をしている人は「豊かな人生」を歩んでると言えるんだろうな。学校の勉強や部活動以外の世界がある人も、豊かな人なのかな。高校生なら、高校の生活に集中してる人の方が偉いような気もするし。
いや、自分にとってカフェ・シエロと朋子さんは学校生活の外の世界。おかげで自分の人生が少し良くなっている実感がある。やっぱり学校以外の世界も大切だな。
朋子さんには絵がある。他にもいろいろあるのだろう。父さんは「必要ないもの」をどれくらい持ってるんだろう。母さんはどうだろう。そんな風に親を見たこと、今までなかったな。じいちゃんは・・・たくさん持っていそうだ。「じいちゃんの人生は無駄なものでできている。」なあんて言いそう。だからあんなに楽しそうに生きてるのかな。そういえば昔、じいちゃんみたいになりたいって思ってたっけ。うーん、自分の将来が、あのじいちゃんか・・・。
なんかイメージ違うんだよな。
5月24日
「おはよう和子。」
「あっ、武志おはよう。ちょうど良かった。お薦めの本て言われてそのままだったよね。はい、これが私の推薦図書。」
「借りていいの?」
「返すのはいつでもいいよ。但し、必ず返してね。」
「ありがとう。へーっ、ヘッセなんだ。ヘッセってアメリカ人?」
「ドイツ人!」
「ヘッセって、名前は知ってるけど読んだことないな。」
「ほら、教科書に『少年の日の思い出』ってあったでしょ。友達のちょうちょ盗んで壊しちゃう話。」
「あれ、ヘッセなんだ。」
「うん、本選ぶの大変だった。いろいろ考えたけど、結局深く考えないで私の一番好きな本にした。」
「けっこう厚いね。」
「武志ならきっと大丈夫。最近あんた大人になってるし。」
「ところで和子、ひとつ質問いい?」
「いいよ、まだ電車こないし。」
「和子は、自分の人生に必要ないものをいくつ持ってる?」
「まてまて、質問になってない。それで答えられる人間がいたらそいつは変態だ。」
「人生になくても、とりあえず生活に支障ないけど、それがあるから人生が楽しい、みたいなもの。」
「うーん、趣旨はだいたい理解したつもりだけど、それってお見合いの席で『趣味はなんですか。』って聞いてるのと一緒じゃない。そういう意味ならたくさんある。でも、全部は教えられない。ていうか、教えたくない。」
「いや、具体的に教えてくれなくてもいいよ。たくさんあるってことだけで十分。」
「なんだかよくわかんないけど解決したなら良かった。でも、おかげで私は新しい悩みができちゃった。『必要とは言えないけど大切なもの』はなんだろうって考えちゃうよ。今日は宿題なくて助かった。」
「ごめん、和子を巻き込むつもりはないんだけど。」
「いいよ、もう武志の言葉に驚かなくなっちゃった。それに、武志の言葉って最近わくわくするし。またいろいろ聞かせてね。」
列車の中で、和子に借りたヘッセの「知と愛」をパラパラめくってみる。本当に読めるか自信がない。でも、お願いしたのは自分だし、頑張るしかないな。これも「必要はないけど大切なもの」だと信じよう。