7月8日
「はじめまして、笹木和子っていいます。今日は武志の先生に会うために来ました。よろしくお願いします!」
「和子さんね、こちらこそどうぞよろしく。江口朋子です。武志くんからちょっとだけ話を聞いてたのよ。中学の同級生で、絶対に敵わないすごい人がいるって。」
「そんなことないです。それに、高校生になってからの武志、今までと違ってぐんぐん伸びてるし、あっという間に置いていかれそうで、実は少しあせってました。で、武志の先生と話してみたいなあって。」
「私こそ、先生なんて立場じゃないですよ。私なりに考えてることを話したり、武志くんの話を聞いたりしてるだけ。」
「でも、武志くんがうらやましいです。こんな素敵な場所を確保できてるなんて。私なんか家と校舎とグランドをぐるぐる回って、それで一日が終わるって感じです。ところで、シエロってどういう意味ですか?」
へえー、店の名前なんて今まで意識したことなかった。そういえばシエロって何だろう。こんな簡単な質問に気づかなかった自分が悲しい。それと、やっぱり和子はすごい。
「シエロっていう店の名前はね、私の母がつけたものなの。中学の時だったかな。私も母に聞いたのよ。『どうしてシエロって名前にしたの?そもそもシエロって何?』ってね。そしたら、すごく他愛のない答えが返ってきた。
『江口という感じをよーく見てごらん。ほら、カタカナでシエロって見えるでしょ?』だって。はじめはすごくがっかりした。でも、母はこうも言ったの。『シエロって決めてから、シエロっていう言葉を探してみたの。そしたらね、スペイン語で『空』っていう意味があることがわかった。抜けるような青い空を思い浮かべて、すごくうれしくなっちゃった。その時は江口っていう名字でありがとうって思ったのよ。』
その話を聞いてから、シエロっていう名前、私も気に入っちゃったというわけ。母から店を引き継いだ時も、名前を変える気はなかったわ。」
「スペインの抜けるような青い空ですか。すごくいいですね。」
「でしょ?まだスペイン行ったことないけどね。」
話が弾んでるなあ。なんか、口をはさむ余地なしって感じ。
それから30分、二人の話は朋子さんの絵の話から和子の部活まで、幾度となく話題を変えながら続いた。
「ところで朋子さん、武志にどんなこと話したんですか?」
「えーと、最初は『早起きしよう』ってこと。その次は『勉強の意味』、先月は「言ってはならない言葉」についてだったね。3か月で3つの話題だから、ひと月にひとつのペースね。」
「わあ、それって素敵ですね。1年で12のテーマで考えたり話したりするんですね。私にも教えて下さいね。それで、7月のテーマは何ですか?」
「うーん、話したいことはいくつかあるけど、次に何を話すかはまだ考えてない。武志くんと話しながら、なんとなく決まっていくっていう感じだから。武志くん、何か気になってること、ある?」
「実は、朋子さんに聞いてみたいなって思ったこと、ひとつあるんです。」
「へー、自分でテーマ作ってたんだ。やっぱり昔の武志と違う。」
「和子、茶化すなよ。」
「いいからいいから、話してよ。」
「それじゃあ話すから聞いてね。このあいだ、足立さんからメールもらったでしょ?朋子さんが転送してくれたやつ。あの中に、『実行しないと成長しない。』って書いてあったんです。『無理って言わない。』から一歩進んで『これを実行するから、できるようになる。』って言えるといいなあって。でも、あれをやりたいとか、こうなりたいとか希望を持っても、何をどうしていいかわからなくて。今教えて欲しいっていうか身につけたいのは、きちんと計画して、それを実行する力ですね。」
「でもその前に、夢とか希望とか目標がないと、動きようがないんじゃない?」
「うん、その通りなんだよね。だから最近、自分は何をしたいんだろうって考えてた。」
「それで、何か見つかった?」
「漠然としてるんだけどね、将来は何かものを作る仕事がしたいなあって。」
「ふーん、ちょっと意外な気もするな。武志はお客さん相手の仕事似合いそうだから。」
「いや、まだ決めたわけじゃないんだ。小さい頃、いろいろ作るの好きだったなあって程度。」
「ところで、和子さんはどんな目標を持ってるの?」
「私は、英語を使って外国の人と話しながら仕事をするのが目標なんです。」
「今、何か努力してることってある?」
「そうですね。家にいる時はすーっと英語が聞こえるようにラジオだったりテレビでCNN流したり、参考書についてきたCDをかけたりしてます。それから、がんばって英語の本読んでます。と言っても、一日1ページも進まなくて。もっと時間があればなあって思っちゃいます。だから、鬼みたいな宿題は、なるべくすき間時間に終わらせようとしてますね。それから、高校のALT、ナンシーって言うんですけど、彼女をつかまえて話すようにしてるくらいかな。」
「和子の話を聞くと、くらくらしてくるよ。よくそれだけいろいろやってるね。」
「でも、ラジオやCDは、他の勉強しながらでも聞こえるし、洋書を読むことくらいしかやってないとも言えるな。もっと頑張らなくちゃ。」
「武志くん、私と話すより和子さんの話を聞く方が、勉強になりそうね。」
「でも、和子は人と違うんで、すごいと思っても真似はできません。」
「ふふっ、人と違うって言われるの、私嫌いじゃないよ。でも、武志もけっこう早起きとか頑張ってると思う。」
「いや、早起きしても、やることないんだってば。」
「ふう、あんたの時間、私に売って欲しいよ。朋子さんはどう思います。何かいい方法ってありますか?」
「ごめんなさいね。これをすれば大丈夫なんて方法、私にはわからない。というより、そんないい方法なんてないんじゃないかな。いろいろ試してみて、自分にしっくりフィットする方法を探すしかないと思う。でもね、ひとつ注意したいことがあるの。それは、試すと決めたら、いつまで試すのか期限を決めて守ること。そうしないと、三日坊主の繰り返しになっちゃうよ。これはよくあるパターンなんだけど、
〇この方法で努力しよう
〇思ったほどうまくいかない
〇方法を変えよう
〇やっぱりこの方法もだめ
〇今度のやり方はいけそうだ
〇前の方が良かった
こんなふうに時間を浪費してる人の多いこと。それよりも
〇この方法で一か月は毎日続けてみよう。それから良いかどうか、続けるかどうか判断しよう。
と考えて実行した方が絶対に成長します!だから、何でもいいから期限を決めて、そこまでは必死になって続けてちょうだい。
◇ ◇ ◇
「武志、今日はありがとう。すごく楽しかった。」
「いや、僕も、やっぱり和子はすごいなあって感心しちゃった。」
「意味わかんないなー。でも、機会があればまた朋子さんと話したいな。武志みたいにちょくちょく来るってのは無理だけど。」
「うん、英語頑張ってね。」
「ありがと。そうだ、もうひとつ英語でやることあったんだ。今度トーイック受けてくる。」
「トーイック?」
「英検みたいなものよ。大学生とか社会人が受けるテストなんだけど、一度経験したくて。受験料すごく高いんだけど、それは親が出してくれるって言うから。秋になるけどね。」
「やっぱ和子すごいわ。」
「武志、やることが見えてきたら教えてね。」
和子の後ろ姿が、いつもより大きく、大人に感じる。運動も勉強もあれだけできるのに、まだまだ頑張ろうとする根性というか気迫がすごい。いや、あの気持ちがあるから、いろんなことができるようになったんだろうな。和子の精神力がほしいと改めて思った。