未来をより良く生きるために

8 5月 勉強は必要か③

5月12日

時々、不安に襲われることがある。多くは最後の客を見送った後。食洗機を回し、テーブルを拭きながら「自分のやりたかったことは、本当にこれなのだろうか。」「いや、この生活も悪くない。」「でも、若い頃の夢は実現していない。」「でも、これはこれで充実してるじゃない。他に何が欲しいっていうの。」

自分の中の二人の会話を、それこそ何百編と繰り返してきた。何かが変わるとは思えないけど、考えることを止めたら、可能性がゼロになるような恐怖感がある。

そんなおなじみの二人が、珍しく昼間に登場した。

「今はランチタイムで忙しいの! 生産性のない思考の戯言に付き合ってる暇なんかない。」

頭の中の二人に大きな×をつけて、現実に戻る。

「武志くんのせいだ。今度会ったらとっちめてやる。」

 

連休明けに届いたメール。

朋子さんこんにちは。

じいちゃんと話をしてきました。

『必要のないことと楽しい人生の関係』は朋子さんから聞きなさい、だそうです。

たぶん20日前後におじゃまします。   武志

「無駄に見える経験が多い人生ほど豊かな人生である。」この言葉は、何かの本で見つけた言葉?西野先生の言葉だっけ。それとも自分で作ったものかな。

誰の言葉かはどうでもいい。この言葉は私の心の拠り所。それは間違いない。無駄な行動の多い自分を納得させる後付けだったとしても。

絵を描くことが大好きで、いつかは画家になりたいなんて夢みたいなことを思ってた中学時代。でも、そんなこと先生にも両親にも言えなかった。あの時「画家になります!」って宣言してたら、両親は「もっと現実をみて進路を考えなさい。」と言っただろう。私もきっと「そうだよね。やっぱり難しいよね。」と、意地も張らずに従っただろう。

意気地がないんだ。だから夢なんか実現しないんだ。

 

高校時代は楽しかった。美術部の3年間は、ほんとに幸せだった。美大に行きたくて、資料も取り寄せた。でも、最後の一歩が踏み出せなかった。

「いつか、大きな賞を狙ってみたいね。」と話し合った仲間。その中で画家として成功した人はいない。そもそも真剣に挑戦する人もいなかった。夢は見るけどそれは遠い世界の出来事。自分の元には決して降りてこない世界。いや、降りくるはずなんかなかった。自分が登ってたどり着くしかないのだ。

 

自分にとって絵を描くという行為は「無駄な行為」なのだろうか。

 

西野先生、なんで私なんかに武志くんを託したんだろう。当時のクラスメートで、大成功してる人だっている。海外で音楽活動してる由香ちゃん。どっかの大学で研究を続けてる森くん。私なんか親の喫茶店を継いで暮らしてるだけ。

 

「ごちそうさま。」

「ありがとうございました。880円になります。」

「朋子さん、入口のところの絵、あれ最新作?」

「わあ、奈美さん気づいてくれたんですね。うれしい。」

「前のリンゴの絵も良かったけど、この風景もいいわね。どこなの?」

「牡鹿半島です。海の色がすごくよくって、、、でも、色は家に帰ってからつけたんです。」

「写真を見ながら?」

「写真、見ますよ。最近は現場で仕上げることが少なくなっちゃって。ゆとりがないってことですね。」

「でも、いい色ねえ。私、朋子さんの絵、好きよ。」

「それじゃあ頑張ってまた描きますね。臨時休業が増えたらごめんなさい。」

 

あれっ、さっきまでの暗―い気分がどっかに行っちゃった。これって奈美さんに救われたってこと?

昔から、ちょっとしたことでこの世の終わりみたいに落ち込んだり、天にも昇る気持ちを味わったりしたものだ。他の人がどうなのかは知らないけど、私はそう。感情のコントロールができない人間。でも、落ち込んだ気持ちが不思議なほど消えていく経験を何度も繰り返してきた。だから今は感じる。落ち込んで、ネガティブな気持ちになっても、それはいずれ消えてなくなるものだと。大きな挫折に涙しながらも、どこかで立ち直ることを信じている自分がいる。私って、そんなに弱い人間じゃないかもしれない。

 

絵を描くのは無駄な行為かもしれない。それがなくても仕事は続けられる。生きていける。でも、ただ生活するためだけの人生、生き延びるだけの人生は楽しくない。私は描くという楽しさを知っている。生きるために直接必要でないものを私は持っている。だから私の人生は充実している。私の絵に価値があるかですって?大ありよ。少なくとも私にとっては。

それに、奈美さんみたいに私の絵を好きだって言ってくれる人もいる。もしかしたら、私の絵を楽しみにこのカフェに来てくれる人だっているかもしれない。私の絵だって捨てたもんじゃないってことね。

 

うわーっ、何だこの高揚感は。

 

今、武志くんが入ってきたら、すごい勢いで喋ってしまいそう。こんな情熱的な気分の時は、言葉が空回りすることも経験済み。ここは冷静に話を組み立てよう。武志くんが来るのは一週間後。きちんと準備しよう。

それにしても西野先生。おもしろい宿題を出してくれたものね。先生もとっちめてやる!

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小説「高1の春に」

自己紹介

縁あってたくさんの中学生と接してきましたが、まだ人生の準備運動の段階であきらめている子のなんと多いこと!そうじゃないよ。人生は中学卒業からが本当のスタートだよ。いくらでも自分自身と自分の人生を変えられるよ!
そんな思いをもってページを立ち上げた中年のおじさんです。

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