未来をより良く生きるために

49 3月 加速①

3月21日

 朋子さんと僕を乗せたワゴン車は、山形道から東北自動車道を通過し、仙台南部道路を走る。

「もうすぐ東部道路に合流するわよ。東部道路が津波の防波堤になってくれたから、この道路の西側は被害が少なかったの。
 震災の4月に通った時は、この道路をはさんで世界が一変しているのが衝撃だった。西側はかろうじて普通の景色が見えたけど、東側は茶色い世界。遠くの松林がスカスカだったのを見て、涙がこぼれた。」

 そう、夏休みに自転車で訪ねたのが、ちょうどあの松林あたり。山川さんは今日もグランドゴルフをしているだろうか。

「あの時はね、自動車道がところどころ段になってて、ガクンガクンと衝撃を受けながらの運転だった。道路を走っているのは半分以上が自衛隊の車。なんだかゴジラ映画を見てるみたいだなあ、なんて感じたの。」

周りの景色はすでに津波の傷跡を隠している。
車は滑らかな道路を滑るように、松島に向かって北進する。

「あれから7年だもんね。ほんとに早いよね。」

「そうですね。小学3年生だった僕が高校生ですから。」

「この7年間で震災への意識はだんだん薄れてきたのは事実。でも、だからといって復興が完了したわけではないものね。女川の町、どうなっているのかな。」

「朋子さんは女川にボランティアに行ったんでしたっけ?」

「その手前の石巻よ。専修大学の石巻キャンパスがボランティア受付になってて、私も1週間ここに泊まって作業をしたわ。」

「コーヒーの差し入れもしたんですか?」

「私がシエロを継いだのは震災の翌年よ。ボランティアに来ていた時は、完全無職。だから1週間も滞在できたってこと。」

「そうだったんですか。朋子さん、シエロのマスターになって、まだ6年なんですね。」

「そうよ。だからまだ初々しいでしょ?」

「いえ、なんとなくずーっとシエロにいたような錯覚をおこしてました。」

「私、まだ36歳だけど。」

「よく考えると、30歳で自分の店を持つって、未来計画書だったら大成功ですね。」

「母親の後を継いだだけで自分は何もしてないのが、ちょっと引け目に感じてるけどね。」

松島を通過。でも、高速道は山の裏側を通るため、松島の絶景は見えない。

「今日の訪問先は佐藤さん。私がボランティアで入った家なの。」

「どんなボランティアだったんですか?前にメールで聞いたけど、忘れちゃいました。」

「簡単に言うと泥の掻き出し作業。部屋の中は津波が押し寄せて置いていった泥やごみにまみれている状態で、それを外に出して袋詰めするという作業よ。4月末なのにすごく暑い日が続いてね、もう汗だく。脱水症状に注意して下さいと繰り返し言われたわ。おまけに庭には流れてきた自動車が4台折り重なってたり、大きなドラックが道路をふさいでいたり、普通に作業できる状態じゃなかった。」

「大変だったんですね。」

「それはそれは大変だった。でもね、実際に津波の被害に遭ってしまった佐藤さんの前で「大変だ」なんて口が裂けても言えないと思ったよ。」

「朋子さん、こっちには時々来るんですか?」

「年に一回くらいかな。その時は必ず佐藤さんのところに寄るようにしているの。これも何かの縁だからね。もっとも、こんな縁なんてなかった方が幸せだったんだっけどね。」

もうすぐ車は石巻に着く。このあたりも、震災の傷跡は、見えない。

◇  ◇  ◇

「江口さん、また来てくれてありがとう。」

「佐藤さん、ご無沙汰してます。お変りありませんか?」

「まあ、年も年だから少しずつくたびれてきてますけど、おかげさまで病気ひとつなく元気に生活しております。
こちらが長倉さんですね。」

「長倉武志です。よろしくお願いします。」

「武志くんは高校一年生。今、いろんな勉強をしてる最中で、せっかくだから女川まで足を延ばしてこようと思ってます。」

「そうですか。ぜひ復興のようすを見て行ってください。」

「あのう、いろんな人が見物に来るのって、迷惑だったりはしないんですか?」

「そんなことないです。あの津波の時は全国、というより全世界から助けてもらいました。その感謝とお礼の気持ちを込めて、『これくらい立ち直ってますよ。』という思いを伝えたい。それが私の気持ちです。きっとみなさんも同じように思っています。
 それよりも、何もなかったかのように忘れられる方が辛いです。」

「私もね、佐藤さんに同じ質問をしたことがあったの。おじゃますることがかえってストレスになっていないかなあってね。でも、佐藤さんが今のように話して下さったから、時々訪ねようと決めたの。」

「来てくれるだけでうれしいですよ。ほんとにありがとうございます。」

「でも、あれから7年ですもんね。早いですね。」

「ほんとうに早いですね。振り返ってみると、時間が解決してくれた面も多かったけど、まだ完全に回復していないという気持ちも残っています。たくさんの人が亡くなってますからね。」

「そうそう、いつものコーヒー淹れますね。台所お借りします。」

「武志くんは高校一年でしたね。」

「はい、あの震災の時はまだ小学三年でした。」

「人生これからですね。」

「はい、少しでも良い人生になるように、猛勉強中です。」

「大切に生きて下さいね。」

「はい、頑張ります。」

◇  ◇  ◇

「朋子さん、、、佐藤さんの話を聞いてたら、ほんとに頑張らなくちゃって感じました。」

「うん、それは私も。 ていねいに生きていきたいと思う。」

「そうですね。なんか、てきとうに生きてちゃだめですね。」

「でもね武志くん、いろんな人のことを意識することは大切だけど、自分の人生は自分でプロデュースして、しっかり楽しんでいいのよ。そのためにこの一年、勉強してきたのだからね。」

「はい、そう考えることにします。」

 

「でも、一年て早いですね。この一年で僕はきちんと成長したんでしょうか?」

「それは、和子ちゃんに判定してもらったらいいわ。」

「それだと、いくら頑張っても25点止まりですね。」

「意外とそうでもないかもよ。  でも、せっかくだから車の中でこの一年をふりかえってみようか。」

「シエロに行って、初めて朋子さんに会ったのが、ちょうど一年前ですね。」

「そう、4月は早起きだったわね。今も続けてる?」

「そういえば、なんだかこれが当たり前になってます。早起きしてデッサンを始めて、それも一応続いてます。9月に入ってからは、少し、いや、かなりさぼっちゃいましたけど。」

「早起きの習慣が身についたのなら、10点満点。」

「ありがとうございます!」

「5月は意識の問題だったわね。必要じゃないけど大事なことの話。」

「学校の勉強は相変わらず苦戦してますけど、『こんなの意味ない!』なんて言葉は言わないようになったかな。それから、身の回りのこまごました道具に、妙に感動することが多くなりました。
 最初は素材っていうか、材料についてスゲーって思ったんですけど、最近は機能とかデザインに感動するというか、自分じゃこんなの思いつかないなって。」

「あなたやっぱり西野先生のお孫さんね。その感性は大事にした方がいいわよ。えっと、6月は何だっけ・・・」

「はて、何でしたっけ。」

「うーん、思い出せない・・・こういう時は、早く思い出した方が勝ちね。」

「えーっと、7月がデッサン続けて、それでご褒美に8月に自転車旅行したんだから、続けて実行しようと決めた月の前だから・・・足立さんにメールしてみます?」

「あっ!、思い出した! 言ってはならない言葉!」

「そうだった。言った言葉の通りになるから気をつけろって話でしたね。朋子さん、よく思い出しましたね。」

「裕介の顔と一緒に出てきた。これって記憶の芋づる式ってやつかな?」

「ちょっとくやしい。」

「無理だって言わないということから、裕介にも参加してもらって、いろいろ話したんだっけね。」

「メールももらいましたね。」

「これは今も意識してる?」

「これはモロ習慣になりました。言葉の通りになるって、なんか魔法使いみたいだけど、ほんとだったらかなり怖いですからね。部活でかなり走りこんだ後でも、『死ぬ!』なんて言ってないです。」

「ははは、ヴォルデモート卿みたいだね。」

「忘れてるようで、けっこう身体にしみついてたりするんですね。ちょっと不思議です。」

「9月は人のため、10月は自分を大切にする、だったね。」

「ごめんなさい、部屋、散らかってます。」

「2点!!」

「でも、おかげで研一っていう友達もできたし、前よりも自分のからだをいたわるようにはなってるかもしれません。」

「それじゃ、15点!」

「いったい何点満点なんですか?」

女川では、新しくできた駅舎や商店街を散策し、家族におみやげ。ご当地サバ缶を買った。朋子さんによれば、商品の購入も立派な復興支援なのだそうな。あとは盛り土の様子や、丘の上の病院も見学。この病院まで津波が来たって考えると、やはり異常な災害だったのだと再認識する。

「研一くん、おもしろい子ね。」

「あいつ、すごいやつですよ。将来ほんとうにプロのカメラマンになってるかもしれません。カメラの腕前なんて知らないけど、なんか、やっちゃいそうな雰囲気をかもしてるんですよ。」

「今回のプロジェクトの一番の収穫は、研一くんかな。」

「そうだと思います。」

「それから和子ちゃん。」

「まあ、そうですね。」

「あら、なんかそっけない。」

「別に、何もないですから。」

「何も聞いてないけど。」

「違う角度から考える習慣は、もう完璧ね。そもそも武志くんにはその素養がはじめからあったみたい。」

「足立さんのレポートには参りましたね。」

「お金の話もしたし、手帳もつけ始めた。あれっ?手帳続けてる?」

「毎日書くことはないです。でも、宿題のメモには使ってます。」

「時々でいいから、今年の目標のページを見直してね。」

「はい、わかりました。」

「2月は未来の計画書。ここは最近だから、しっかり覚えてるね。」

「ええ、最初は大変かと思いましたけど、できましたね。」

「あのとおり、実現ね。」

「約束はできませんけど、頑張ります。」

◇  ◇  ◇
 
「ねえ武志くん、思い返すとけっこう頑張った一年だったんじゃない?」

「そうですかねえ。実感ないですけど。」

「でもね、こう考えてみて。もし、西野先生の遺言がなくて、武志くんがうちにこなくて、この一年のいろいろな話が何もなかったとしたら、今と同じ武志くんがここにいるだろうか。」

「そう言われると、今じゃシエロを知らない自分なんて考えられないし、この経験をしなかったらって考えると恐ろしさも感じます。」

「私から言うのもなんだけど、私や裕介、それからやよいと知り合いになって、西野先生の宿題だからって私や裕介もそこそこ本気で考えて話をして、けっこう武志くんのためになったんじゃないかと。」

「それはもう、感謝してます。」

「実際、武志くの成長は、かなりスピードがあったと思うよ。人生の中で成長が目に見える、充実しててスリリングな時期ってあるものよ。きっと武志くんは、この一年で成長が加速したと思う。」

「言われてみると、そうかもしれませんね。じいちゃんに感謝しなくちゃ。」

「そうね、今回の件では、私も西野先生に感謝だわ。武志くんに出合えたし、それに・・」

「それに?」

「それはまた今度。でも、この一年で私も自分の人生を見直すチャンスをもらったように思うの。」

「じいちゃんに話しときます。」

「ちゃんと店に来てって言ってね。」

「はい、必ず伝えます。」

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小説「高1の春に」

自己紹介

縁あってたくさんの中学生と接してきましたが、まだ人生の準備運動の段階であきらめている子のなんと多いこと!そうじゃないよ。人生は中学卒業からが本当のスタートだよ。いくらでも自分自身と自分の人生を変えられるよ!
そんな思いをもってページを立ち上げた中年のおじさんです。

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