前述した「1日1つ、なしとげる!」の中の一文に、こんなことが載っていました。
罰として与えられる「シュガークッキー」というペナルティ。それを受けることになった作者に、教官は話します。
「ミスター・マック、今朝、シュガークッキーになった理由がわかるか。」
マーティンに問いただされた。言葉こそ穏やかだったが、明らかに尋問調だった。
「マーティン教官、わかりません。」
礼儀正しく答えた。
「それはな、ミスターマック、人生は不公平なものだからだ。そこに早く気づいた者ほど、充実した人生を送ることができる。」
1年後、マーティン大尉と私はファーストネームで呼び合う間柄になった。
ひえー!!! 今なら完全にパワハラで訴えられます。
一瞬の判断ミスや情報分析ミスが命に直結する軍隊ですから、一般人にはない厳しさが必要なのも理解できます。彼らには理不尽なこと(自分ではどうすることもできない想定外のこと)が起きても、思考停止しない精神力と、どんな困難でも乗り切る肉体が必要なのでしょう。
私は基本的に、「理不尽や不公平を経験させる」という考えには反対です。理不尽なことなんて、意識して作らなくても世の中にはたくさんあるからです。
勘違いしないでくださいね。理不尽なことは対処しなくていいという意味ではありません。
理不尽と思われることでも、最善を尽くして乗り切るのです。
ここからは、私個人の経験(多少自慢が入ります。そこはご勘弁を。)
何とか教員採用試験に合格した私は、「海外の日本人学校に教員を派遣する制度」があることを知りました。「わーい、海外いいなあ、行きたいなあ。」と単純に思ってしまった私は、「行きたいです。」と校長に話しました。
校長の言葉は、
「あれは基本的に結婚してる人が派遣されるから、独身の君は申し込んでも無理じゃないかな。もう少しこの学校で働いてからでどうだろう。」
当時の私は、生徒指導主事という、荒れた学校では先頭に立って行動する役職でした。
30歳を前に結婚した私は、もう一度「いきたーい!」と申込みました。
校長(1回目とは違う人)の言葉は、
「まだ若いんだし、あんなの希望すればいつでも行けるから、、、できればあと2年くらい、ここで仕事をして欲しいのだけど、、。」
当時の私は、生徒指導主事という、荒れた学校では先頭に立って行動する役職でした。
(なんだか、同じ仕事してますね。)
それから3年後、再び申し込みました。
校長の言葉は、「わかりました。教育事務所に話をします。」
やったー!!3回目にして、ようやく学校から教育事務所に話が行きます。
数日後、校長から話がありました。
「事務所の話では、今回は若い人を派遣するので、あきらめてくださいとのことです。」
なにー!!?!?
「まだ若いから大丈夫。」から、途中をすっとばして「もっと若い人にする。」という言葉。
理不尽をいうことばをかみしめたあの日・・・
それから、2度目の転勤。
転勤して3年経ち、校長と教頭に「5月には申込みますから、お願いします。」と明言し、いよいよ申し込み。しかし、新たな問題が起こります。私の話を聞いていた同僚の先生が、自分も行きたくなってしまい、申し込むことに。学校から二人も申し込めないという教頭先生は、「小学校の免許も持っているから。」という理由で、もうひとりの先生を選びました。こっちが10年も繰り返し希望してるのを知ってて・・・
あんまりです。
そこで私は、すぐに小学校の免許を取得。(ここはかなり自慢になるけど、小学校教員資格認定試験という、一発受験で取得できる方法を取り、合格率がかなり低い試験を一発で合格しました。人生で数少ないやけくそ本気モードの日々です。)
次の年、ようやく希望が通り、県教育委員会の面接、東京で行われた文部科学省の面接にパスし、海外での仕事を手に入れたのでした。
最初に希望してから、12年が過ぎていました。
でも、実現は遅れたものの、良いこともありました。
赴任地は「ドイツのフランクフルト」という、治安もよく過ごしやすい場所になり、(前年なら、教科の関係でフランクフルトはなかった。)さらに、子供も小中の一番伸びる時期に海外を経験でき、この点でも言うことなしです。
結果オーライです。
私の経験は、理不尽とは少々違うかもしれませんが、「くっそー、もういい!」とあきらめたら、今も「理不尽な仕打ちで、夢が叶わなかった。」と、文句を伴った苦い経験として残っていたでしょう。でも、最後まで粘ってがんばったら、実現しました。
本当に叶えたいのなら、あきらめちゃいけません。