古本屋さんで見つけて題名に笑ってしまい、108円で購入しました。

まだ読み切っていませんが、日頃思っていたことと一致するような気がします。

他人を責める窮屈な時代に突入した

目次を見て、なるほどなあと思ったのが、

「第2章 一億総「他責的」社会」という言葉。

簡単に言うと、「自分以外の誰か(何か)が悪い。」という感覚です。この感覚を持っている子供が異常に増えてきました。

「勉強できないのは、先生の教え方が悪いから。」

「クラスでうまくいかないのは、〇〇さんがいるから。」

決して自分の未熟さや行動の甘さを反省することはありません。

 

この傾向は子どもよりも大人に多く見られます。

現代の日本は「一億総クレーマー時代」とも揶揄される、責任の押し付け合いの時代です。

クレーマー、モンスターペアレンツという言葉が、異常な人物を指す言葉でなくなり、誰もが「責められないように細心の注意を払い、予想される非難には先手を打つ。」という息苦しさ。だから、責任を負いたくない人は自然と「指示の通りに行動する」受け身人間になります。「近頃の若者は、自分で考えて行動しようとしない。指示をして下さい、指示がないと動けません。それじゃ仕事にならない。」そんな声も聞かれそうですが、違いますよ。指示がないと動けないのではありません。自分で行動したことで責められるリスクを負わない賢い選択をしているだけです。

その点で、今の若者は賢いです。

自分で考え、行動することを放棄した子供が増えている

下手に自分勝手に動いて攻撃されるのは割に合いませんから、自然指示待ち、依存的な人間の振りをします。実際には賢くても、わからないふりをします。それを責めるのは酷というものでしょう。だって、大人がそうなんですから、子どもだって真似しますよ。怒られたら、相手が根負けするまで黙秘です。下手に意見を言うと、ますます面倒になりますからね。

実際、すべてを周囲に決めてもらって生きていくのは、楽なのかもしれません。(楽しいかどうかは別ですが。)

しかし、ここに大きな副作用があることを忘れてはいけません。それは、

行動が人格を変えていくということです。はじめはその方が傷つかないから指示待ちグループに入ったはずですが、いつの間にか、それ以外の行動ができなくなってしまいます。そんな子どもを前にして、親だって「こうなったのは、〇〇のせいだ。」と、家族以外の人間を責めてくれるのですから、ますます「これでいいかな。」と考えてしまいます。

「自分でも何とかしたいと思うけど、どうしても変えられない。動けない。」こんな言葉を、今まで何十回聞いたかわかりません。

みんなが努力する時代でないから、努力した人間は強い

(我が子も含めて)私の周りにいる子供たちに、次のように話すことがあります。

「現代は、あまり努力しない人が増えている。下手に動いて攻撃されるよりも、誰かの指示で動いて責任を回避し、自分にとって楽で楽しいことをしたほうが心地よいし、ある程度生きていける社会だからでしょう。でも、こんな時代だからこそ、きちんと将来の目標を立てて、その実現に向かって努力している人間は強いよ。

もし、全員が必死で努力する時代なら、本来持っている能力に左右されるかもしれない。でも、努力している人はほんのわずか。だから、努力した人は、それに見合う成果が得られる。考えようでは良い時代とも言えるだろう。」

かなり偏った意見であることは百も承知です。でも、これって現実だと思いませんか。

 

これから大人になるみなさんには、すばらしい人生を歩んでほしい。だから、しっかり努力して、たくさん挫折して、でもたくさん成功して自信をつけてほしい。

挫折もまた人生の宝です。

最後に、「一億総ガキ社会」から一文を抜粋します。

成熟して大人になるということは、一方ではさまざまなものを獲得していきながら、同時に幼児的な万能感をを捨てていかなければならない過程でもある。ごく少数の大天才や大スターを除いて、大多数の人々は、失敗や挫折を重ねつつ、夢や自己愛的イメージなどを「断念」していかざるをえない。それがなかなかできない「成熟拒否」の人々、言いかえれば「対象喪失」をきちんと受け止められない人々が増えているのである。

この「成熟拒否」はいまや子供や若者だけでなく、いい年をした大人をもむしばみつつあり、さまざまな問題として表面化している。タイトルにも掲げたように、「一億総ガキ化」していると言っても過言ではない。

一億総ガキですよ。その中で自分だけ普通の大人なら、敵なしです。

 

 

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