常識が通用しない少年が増えた

 上の画像を見て下さい。本についてた帯の「A君」「B君」の三等分に衝撃を覚えます。こういうショッキングな本は、帯の情報がほぼ全てを言い尽くしている場合があり、正直言うと読まなくても表紙だけで理解できちゃいます。

たまに本屋さんをうろつく意義がここにあったりもします。

 さて、「表紙だけで理解できる」と言い切るのも何ですので、実際読んでみますと、現代の少年たち(少女たち)の闇を見る思いがします。内容を少しだけ紹介しますと・・・

日本地図がわからない 一般常識がわからない

例えば日本地図を見せて「自分が住んでいるところはどこ?」と聞いてもわからない。九州を指差し「ここは?」と聞くと、「中国」と答える。(中国地方という意味だったとしても驚愕ですが、もちろん国としての中国を意味しています。」
「日本の総理大臣は?」「オバマ」これはギャグでも反抗でもないようです。

時間の概念が弱い 後先を考えられない

著者によれば、「昨日・今日・明日」程度の時間しか意識できないので、「今これを頑張れば、1ヶ月後にはこうなるはず。」という長期展望やそれに伴う努力ができないそうです。将来というイメージがないからかもしえませんが、「欲しいものがあるのにお金がない。さあ、どうする?」という質問に「盗む」という選択肢を平気で選ぶそうです。「これをやったら後でどうなるか」なんて考えもしない人間が目の前にいたらと思うと、怖いと思うのは私だけでないはずです。

人の気持ちが実感できない

 「僕は優しい人です。」と、殺人や強盗傷害、性犯罪を起こした少年が真面目に答えるとか。「こんな事件を起こして、人をこのように傷つけたのですが、それでもあなたは優しいのですか?」と言われてはじめて、「優しくないです。」と訂正するそうです。
 これは、自分への理解・認識と自分の行動をつなげて考えることができないということ。

個人差が前よりも広がった気がする

 昔から、勉強のできる人とそうでない人がいました。親切な人もいればいじわるな人もいました。そのこと自体は昔も今も変わりません。しかし、その差がどんどん広がっているような気がするのです。

 自分が中学時代、クラスの中に勉強がすごく苦手な男の子がいました。6人くらいの班学習で、みんなで寄ってたかってその子に教えた記憶があります。こっちも子どもですから、多少イライラしながら、もしかしたらその子を随分傷つけるような態度で教えたのかもしれません。でも、その子も何とか必死になって理解しようとして、ひとつクリアすると「じゃあ、これはどうなる?」なんて問題を即席で作って確認させて、できたときにみんなで喜び・・・。
 でも、自分の中では確信していることがひとつあります。あのとき勉強がからきしダメだった彼も、ケーキを3頭分しろと言われればそれなりにうまく切っただろうということです。

 その後、自分が大人になり、多くの中学生と接していく中で、徐々に「まるでわかっていない」タイプの子が増えてきたのを感じます。少なくとも、努力をしなくなった子どもが増えたのは間違いないようです。そして、著者によればこのような「まるでわかっていない」タイプの子が14パーセントに達するとか。
 7人にひとりですよ。怖くないですか?

 中学くらいの子が7人集まったら、一人はケーキを三等分できないということ。これを「異常だ」と感じるのか「普通じゃん。」と感じるか、みなさんはどうですか?それとも「ケーキを分ける?それはしないから・・・」で済ませますか?
 この問題は「ケーキが切れれば解決」というものでないことは理解してもらえますね。

近年、中学生には次のように話すことが多くなりました。
「現代は、ある意味誰にでも平等にチャンスが来る時代だ。残念ながら普通に努力する人が少ない。だから、その中できちんと努力すれば、成功する確率は高いぞ。」
「普通に努力ってなによ。」「成功って何よ。」と、つっこむ点はあるかもしれません。でも、みんなが必死に努力する時代なら、もともとの地頭のいい子が成功するでしょう。でも、努力する人が少ない時代なら、成功するのは容易いです。人生勝ち負けではないですが、何も努力も準備もしていない相手と何かで対戦したら、負けるわけがありませんて。

この気持ちは今でも変わっていませんが、この本を読むと、「努力すれば成功する確率が高い。」という言葉そのものが、クソの役にも立っていないわけです。そして、自分自身「言わなくても努力できる人」「言えば気づいて頑張れる人」「何を言っても効果がない人」をなんとなく識別していたのも事実です。これに関しては申し訳ないと思っています。

普通に考え、せめて1年後くらいを見通して、自分のために頑張れる人間でありたいものです。

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