数年前の話です。一人で旅館に3泊したことがあります。年齢の関係で、5日間の「リフレッシュ休暇」というものがもらえることになった私は、リフレッシュにふさわしい行動をしてやろうと、温泉旅館に泊まることにしたわけです。
(リフレッシュ休暇がないと休みが満足に取れないことや、そもそも5年に一度しかリフレッシュできないことは、ここではツッコミません。)
とは言え、一泊で何万円もする旅館に長期滞在はできません。そこでネットでいろいろ調べたら、素敵な場所がありました。
そこは有名な温泉街の中でも3本の指に入る大きな旅館で、たくさんの露天風呂があり、しかも温水プールまで併設されています。その旅館の本館は良い値段なのですが、プールのある別館はビジネスホテル風で料金も2食付きで1万円というお値打ち価格になっています。食事は本館できちんとお膳が出るし、もちろん本館の巨大な風呂の数々も入り放題。3泊で3万円は決して安くはないのですが、次は5年後かと思うと「まあ、これくらいのプチ贅沢は許されるだろう。」という気分です。しかも、このお値段は平日価格。しっかり休みを取った時しか、とても行けませんよ。
ここまでは、単なる旅館ガイドですね。本題はここから。
2泊目のことです。昼は本を読んだりプールで泳いだりして過ごし、部屋に戻る時、家族がチェックインの手続きをしていました。おそらく25歳から30歳くらいの若い夫婦のそばには、小さな女の子が2人。5歳と3歳といったところでしょうか。子どもがまだ幼稚園なら、両親が休みを取れれば平日に温泉に来ることだってできます。自分が子育て真っ最中の時は、平日に休むなんてできなかったなあ、いいなあと、昔を振り返りながら若い親子を微笑ましく見ていました。
昨夜は本館の大きな風呂を堪能したので、今日は別館の小さな風呂を見てみようと決めて、夕方の早い時間に入浴。もともと平日で泊まり客が少ない上に、わざわざ狭い別館の風呂に入る人は少なく、入り口のスリッパと脱衣所を見ると先客が一人のようです。すぐに服を脱いで浴場に突入すると、さっき見た若いお父さんが湯船に浸かっていました。その背中には一面青い色の刺青が入っています。一瞬たじろぎましたが、まさか温泉宿でおかしなことにはなるまいと、「こんにちは。」とあいさつして入りました。
私も一瞬ビビりましたが、刺青の若いお父さんは私よりも居心地が悪そうです。もしかしたら、誰もいないことを確かめて入ったのかもしれません。逆に悪いことしたなあと思い、少なくとも私は気にしてませんよと意思表示するために話しかけました。「ご家族で温泉ですか。いいですね。」「はい。」「お子さん、可愛いですね。何歳ですか。」「3つと4つです。」「いいですね。こっちは子育て終わっちゃったんで・・・これから楽しみですね。」湯船は温泉にしては小さく、4人くらいでいっぱいになるくらいですが、他に入ってくる人はいないようです。
多少は打ち解けた感じがしたので、思い切って言ってみました。
「背中、立派ですねー。かなり痛かったんでしょ?」
すると、若いお父さんは淡々と答えました。
「かなり、後悔してます。」
これまで、どんな生活をしてきたお兄さんなんでしょう。今でも十分に若いのですが、若い頃はやんちゃだったのかもしれません。でも、彼女ができて、子どもができて、今は家族を大切に生きていこうと頑張っているのでしょうね。どんな仕事をしているのかは聞きませんでしたが、休みが取れてプール付きの温泉に来て、子どもたちは大喜びでしょう。
でも、刺青をしたお父さんは、せっかく泊まりに来ても本館の大きな風呂には入れません。プールにも入れません。日本は基本的に刺青の人を受け入れませんから。
「お先します。」と言って浴室から出ていくお父さんの背中を見ながら、「がんばって下さい。たいへんだろうけど、ふてくされないでしっかり生きてください。」と心の中で声をかけました。
翌日の午前中、温水プールに家族の姿がありました。水着でキャーキャー騒ぐお母さんと娘たちを、プールサイドのベンチで短パンTシャツのお父さんが見ていました。
頑張れ!お父さん!
最近、海やプールで男性の水着が様変わりしています。相変わらずパンツひとつで上半身裸の人も多いのですが、日焼け防止のために長袖のウエアを着て泳ぐ人も珍しくありません。
温泉旅館で出会った若い親子は、どんな生活をしているでしょうか。娘たちは小学生です。家族4人、海でキャーキャーと楽しく遊ぶ姿が目に浮かびます。