このところ、テレビをつければ児童虐待の事件に関する報道やコメントを見ない日はありません。
また近年、自動車のあおり運転の問題も繰り返し報道されています。学校でのいじめの問題も、なかなか収まる気配がなく、最近は教師の加担や隠蔽なども明るみになるような有様です。

人間て、なかなかマイナス感情を抑えることができない動物みたいです。

こんな記事をみつけました

「ハンドルを握ると人が変わるドライバー」

(時間の経過とともに、リンク先がなくなる可能性もありますが、とりあえず上記にリンクを貼ってます。)

この記事は、あくまでも運転手向けの記事です。
高校生のみなさんには、今は直接関係ない話かもしれませんが、人の心理をよく表す記述がありましたので、その部分だけ抜粋します。

あなたは大丈夫? 「イライラ運転」しやすい人の特徴

1.行き過ぎた正義感を持つ人 
以前、「煽り運転をする人の特徴」を紹介した際にも挙げたことだが、煽り運転に限らず、ハンドルを握ると人が変わるドライバーにも、行き過ぎた正義感を持っている人が多く存在するように思える。
 日本がルールやマナーに対して、非常に厳格な国だということは、自他ともに認める事実だ。
 朝のラッシュ時、誰に言われるでもなく2列ないし3列縦隊を作って電車を静かに待つ姿や、スポーツ観戦後にゴミを自主的に拾って持ち帰る日本人サポーターらは、海外でも度々大きく報じられ、称賛されてきた。
 しかし近年、そんなルールやマナーに固執するあまり、許容範囲が極端に狭くなった人が急増。彼らは、皆がルールやマナーに則り、欲望を抑えて秩序を守ろうとしている中、それらに少しでも反している人を見つけると許せなくなり、過剰に反応してしまうのだ。(ハーバービジネスオンライン より)

「許容範囲が極端に狭くなった人が急増」ということばが、なんだか寒々しく聞こえます。

連日報道されている児童虐待の父親。
「しつけであり、自分は悪いことをしていない。」と話しているとか。
もしかしたら、あの小4で亡くなった少女は何かミスをしたのかもしれません。
普通に考えれば誰でも失敗するような子供のミス(何かをこぼしたとか、片付けをしなかったとか)だったとして、そんなミスを許せなかった父親。
そして、怒りの感情が芽生えてしまうと、もはや本来の目的(ミスした娘を育て導く)などはどこかに吹っ飛んでしまう。

「許容範囲が極端に狭くなった人」
というカテゴリーに、自分が含まれていないか、自問しました。
極端な行動に出ることはありませんが、自分の中にも確かに存在する感情なのは確かです。

イライラすることって、日常生活の中でたくさんありますから。

怒りをコントロールする手段を見につけたい

「許す」こと、「受け流す」ことだ。
 例えばドライバーの場合、自分はルールやマナーをしっかり守り、相手の違反には寛容になる。そうすることで、結果的に自分が怒りの感情に振り回されずに済むのだ。  しかし、それが容易にできていれば、今頃誰も怒ってはいないところ。巷では「大きく深呼吸してみる」、「怒りのピークである直後の6秒間、思考停止してみる」など、「怒りの鎮め方」が数多く紹介されているのだが、それらでも怒りが収まらないドライバーは、一度その怒りを、同じ感量の「哀れみ」に変えてみるといい。
 元々、超が付くほど短気だった筆者も、これで運転中の怒りを何度も鎮めてきた。 「人を哀れむ」と聞くと、あまりいいように聞こえないかもしれないが、「鉄を身にまとい合う一期一会のクルマ社会」では、「あんな運転しかできないのか、可愛そうに」といった同情を注ぎ、瞬間的な怒りを鎮めたほうが、不要なトラブルの回避に繋がることが多いのだ。
(同記事より)

この記事を執筆した橋本愛喜さんは、
「運転中の自分の感情をコントロールする方法を身につけた」と言えます。

運転以外の全ての場面で「怒り」を「哀れみ」にするということができるのか、しかもしれがいつでも正しいかどうかは別。橋本さんは、「運転中は、これでコントロールできる」という方法を得ました。きっと他の場面でも何かしらの方法で自分の感情をうまくコントロールしていることでしょう。
その方法は、運転の時と同じ方法だったり、全く違う方法の時もあるでしょう。

「ここは譲っても問題ない。」「まあ、あれくらいのミスは笑えるな。」「あの人に悪気はなさそうだし。」「あんなことしかできないなんて可哀想。」「ここで怒りをコントロールできる自分て大人。」「やばい、関わるのやめよう。」「怒ったら損。」「美味しいもの買って気分転換。」

そもそも自分が悪くないのに、いつまでも怒りの感情を持ち続けて気分を害するのは、人生の無駄遣い。

自分の感情をしっかりコントロールする手段を、少しずつ見につけたいものです。

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