小さい頃から癇癪持ちだった自分が、同僚からは「あまり怒らない人」と認識されるようになりました。特に大きな出来事を経て心を入れ替えたわけでもなく、年を重ねるようにいつの間にかこうなったような気もしますが、それでも、ちょっとだけ心がけている(努力している)ことがあります。

ある本で「怒りの感情というものが、そもそも精神障害である。」という言葉を見つけました。その通りだと思います。(残念ながら出典不明。こんな風に情報発信する場合、情報源や出典をメモすべきでした。)別の本で「自分のせいでないことで怒りの感情が芽生えるのは人生の損失である。」という意味の言葉もありました。(こちらも出典不明)このあたりが自分の「心の姿勢」の原点になっています。その後、ベストセラーになった「7つの習慣」の中に同じ言葉を見つけ、以来この本がひとつの指針となっています。(「7つの習慣」は必ず読むべき一冊!)
怒りの感情にはエネルギーがあり、ある場面では強いモチベーションにもなり得ます。この感情を駆使して活動している人も多く知っています。怒りをうまく使って集団をコントロールしている人もたくさんいます。ある時は集団に怒りをぶつけて自分を優位な立場に置く。ある時は怒りを共有して集団帰属意識を高める。幼稚な手法なのに効果が絶大だから、使わずにはいられない麻薬のようなものでしょう。
でも、「怒り」は麻薬ですから、使っているときは気持ちいいし、世の中で自分が一番偉いような錯覚も起こしがち。(少なくとも怒りの対象が自分よりすばらしいなどとは思うはずもありません。)でも、麻薬ですからいずれ自分の心がぼろぼろになりますし、何より周囲への迷惑も絶大です。

では、どうやって怒りをコントロールすればいいのでしょう。

「心がけていることその1」は、自分の器を意識すること。この程度のことで怒るというのは恥ずかしいという気持ちを持つこと。解決策が見えないから怒るしかないのだという自分の能力のなさを意識すること。

「心がけていることその2」は、相手の人生を意識すること。(いきなり飛躍しました。ごめんなさい。少々話が長くなるので、またの機会に。)

「心がけていることその3」は、ピンチの時はまず「くすっ」と笑うこと。(まれに誤解されて怒りを買うこともありますが、自分の怒りをコントロールするのがテーマなので、ここはご勘弁を。)

とはいえ、私もまだまだ未熟者。怒りにまかせて相手を罵るような場面がまったくないわけでもないし、人の怒りを正面から(あるいは斜めから)うけとめて長時間心を乱すことだってあります。それでも「こうありたい。こう生きていきたい。」と意識することで、人って変われるんだと感じています。

以前職場で「こんな場面でも怒らないんだね。」と言われ、「自分の責任でないことに心を乱されるのがいやなんだ。」と答えたら、えらく褒められたことがありました。ちょっとうれしい瞬間でした。

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