「いったい、一生の間にどれくらいの人と話をするのだろう。」と考えることがあります。50年以上生きている私でも、実際に会って話した人の数はそれほどでもありません。しかも、自分と違う場所にいる人や、自分と違う仕事をしている人とは、ほとんど接点がないものです。仕事を始めてからはいろいろな大人と話す場面がありますが、それだって話す内容は限られており、「どんな人生を送るか。」なんて話をすることはほとんどありません。(時にはありますが・・。)

普通に生活していたら、きちんと話をするのは同じ場所にいる、せいぜい数十人の人です。

 

 ところで、テレビに出ているような有名人の話が聞けるとしたら、あなたは聞きにいきますか?

「こんどの日曜日、町の公民館にイチローが来るんだって。」

「来月、指原莉乃のトークショーが駅前のデパートであるんだって。」

「となりの家にネイマールが泊まりに来るから、一緒に話聞かない?」

こんな話があったら、私なら絶対いきます。(指原氏は、混み具合によっては止めるかもしれません。)だって、人とは違う努力と才能を持つ素晴らしい人の話が聞けるのですからね。

「うちの学校でリンカーンが演説するらしい。」

「町内の喫茶店で、リンドバーグ自身が飛行機で大西洋越えた話をしてくれるって話だよ。」

おいおい、すでに亡くなった人ですよ。それはないでしょ。

いえ、それがあるのです。

もう、わかりましたね。そうです。読書です。

場所や時代を超えて、いろいろな人の思いを聞くことができる場として、読書を勧めます。すでにこの世にいない人から現代の最先端の人まで、いったいどんな話を聞かせてもらえるのでしょう。どんな世界が広がっているのでしょう。どんな発見があるのでしょう。どんなわくわくがあるのでしょう。

 読書は間違いなく、あなたの人生に彩りを添える風景になっていくでしょう。

しかし、読書を続けるにはそれなりの技術と体力が必要です。玉石混合の多くの書物から優れたものを選ぶ眼。しっかりと読み切る心の体力。そして本の内容を受け止める基礎的な知識や教養。どれか欠けても、なかなか本の世界に入り込むことはできません。

読者(あなた)は本を選びます。しかし、本もまた読者を選ぶのです。選ばれた読者だけが、本当の話をしてもらえるのです。

 では、読者の力をいつ身につけたらいいのでしょう。きっと中学から高校にかけての時期が、本の世界に入れる唯一の扉かもしれません。この時期に読書の習慣をつけないと、大人になってからでは苦しいようです。

ぜひ、苦しくても読書の習慣を!!

 

 読書の習慣がつき、いろいろな作家の声をしっかり受け止める力がつくと、人生を左右する本や人生とともに歩んでいける本に巡り合います。その出会いの喜びは、ちょっと他では体験できないものです。親友と巡り合ったような感覚に近いでしょうか。

 ちなみに、私にとって聖書に近い存在の本は、ヘッセの「知と愛」という小説です。ヘッセの作品は、普通に考えたら悩みなんかなさそうな秀才や天才が主人公。そんな人たちが悩み、行動する姿は人間の本質をしっかり捉えている気がするのです。人生の節目に読み返し、思いを新たにした本であり、何回読んでも新たな発見がある、素晴らしい本です。

 これをみなさんにお薦めしますが、人によって感性も求めるものも違って当たり前、みなさんにとって「一生付き合える本」を見つけていってください。

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