小説「髙1の春に」の中で、朋子さんがこう言います。

私ね、西野先生に感謝してることがひとつあるの。それは高校受験の時に数学が劇的に良くなったこと。たしか3年の10月だったかな。進路相談で担任だった西野先生に『数学がどうしてもダメです。』って言ったの。そしたら先生、私にひとつの宿題を出したのよ。それは、『毎日一問だけ数学の質問をすること。家で数学の問題を解いて、答え合わせして、答え見てもわからないところがあったら、それを次の日に質問する。もし、最初の一問がわからなかったら、その夜の勉強はおしまい。でも、質問するものがなかったら、それが出てくるまで10ページでも20ページでも続けること。』ということ。つまり毎日数学の先生のところに行けということなの。(5月 勉強は必用か①)

朋子さんは、毎日質問に行くという行動を西野先生と約束します。それから毎日、朋子さんは質問に行くことで「今日もきちんとやりましたよ。」という報告をすることになります。

これをやろうと誓いを立てたものの、どうやって実行して続けていくかが勝負です。それにはいろいろな方法がありますが、「報告する」というのも効果的みたいですね。

毎朝デッサンを続けている武志くんも、「報告する」という作戦を取ります。(実際には、やよいさんから強制されてますが。)

おととい、やよいさんにメールを打った。
「毎朝10分だけ絵を描くことにしました。」
すぐに返事が来た。
「明日から、できた絵を送って。」

誰かに報告するということ、意思の弱い人は特に必要かもしれませんね。

 

昔、ちょっとした悪さをした中学生に、次のような課題を出したことがありました。

「毎日、夕食の後、茶碗洗いをしなさい。それができない日は、何でもいいから家で手伝いをしなさい。それができたら、毎日私の携帯に電話をしなさい。」

その日から、毎夜、私の携帯に報告が入ります。
「〇〇です。手伝い終わりました。」「はい、ごくろうさん。」会話はそれだけ。毎日報告しなくちゃならない子どもたちは、きっと相当なプレッシャーとストレスがあったでしょう。それでもきちっとやり通し増しました。

 もしも課題が「毎日夕食の後、茶碗洗いをしなさい。1か月きちんと続けたら報告しなさい。」だったら、子どもたちはやり通したでしょうか。私にはわかりません。もしかしたらできたかもしれないし、できなかったかもしれません。でも、少なくとも言えるのは、「毎日報告する方が、成功の可能性が高くなる。」ということです。

「報告する」という行動が正しいかどうかという議論を、ここでするつもりはありません。大切なのは、「自分でやると決めたことを、挫折しないで続けるにはどうすれば良いか。」ということです。その意味で、「報告する」という作戦は、かなり有効ではないかと思います。

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