昨日、ようやく選挙が終わり、ホッとしています。

選挙の結果がどうこうではなく、純粋に終わったことにホッとしているのです。

政治に関わると、なんだか人間性を無くすみたい

私は、Facebookも立ち上げていますが、いろいろな人の投稿がいやでも目入ってきます。

選挙が近づくと、ある個人や政党の応援、批判(を通り越してもはや非難)、弁護、攻撃、ぎすぎすした言葉が並びます。中には冷静に現状分析しているものもありそうですが、多くは聞くに堪えない言葉です。

 

どんな政治家にも政党にも、良い面があればダメな部分もあります。現状を考えると、万人が賛同する政策はなく、万人が反対する政策もありません。本来ならば「あなたのこの部分をぜひ頑張って欲しい。だから応援します。でも、それを望まない人や、その政策で打撃を受ける人へも配慮して下さいね。」と言いたいところです。でも、そんな優しい言葉は通用しないみたいですね。

以下は、一般的な個人のコメントに対する私の感覚です

 〇そもそも、「〇〇を応援する。△△は敵だ。」と思っているから、
 1 自陣に有利な記事は取り上げ、不利な記事は無視する。
 2 敵陣に有利な記事は無視し、不利な記事は攻撃する。
という原則から抜けられない。(抜けたくない。認めたくない。)
〇敵候補は、ほぼ例外なく呼び捨て。
〇「ワロタ」「ブーメラン」こんな言葉がでてきたら、もう読む価値なし。仮に自分が応援している候補に有利な記事だったとしても、「いいね」する気にもならない。揶揄する以上の中身がないから。

「自分が応援している人は全て素晴らしく、相手側の人間は理念も能力もない人間である。」

こんな感覚を国民全員が持っていて(持たされていて)、反対の意見をいう事がタブーとなるような国があります。昔もありましたし、今もあります。こうはなりたくないものです。

冷静に、物事を考えて意見を言える人になりたいです。

 

ちなみに、ちょっと自慢になりますが、

私にも「日本にはこうなって欲しいなあ。」と思うことがあり、私の考えに近い人に投票しています。

でも、考えの違う人に難癖つけたり、呼び捨てにすることはありません。それをしてしまうと、自分の器がどんどん小さくなって、自分がどんどんいやな人間になっていくのを感じるから。

それに、一方的に相手を非難すると、大切なことを見逃す可能性だってあります。相手にだって「こうしたい」という思いがあり、それを応援している人がいることを認めたいからです。

 

みなさんを政治的に洗脳しようとは思いませんが、ひとつだけ私の思いを書きますね。

それは、原発は廃止したいということです。

だから、これを明確に主張している人を応援します。

でも、科学技術の進歩と発展は別の話。研究目的の一か所は認めていくという考えです。

もちろん、これが絶対に正しいとは言いません。原発賛成派からはもちろん、反対派からも賛同を得られないでしょう。でも、「原発は危ないみたいだから、基本やめよう。でも、もしかしたら原子力の研究から新しい何かが生まれるかもしれないし、遠い将来これが必要になるかもしれないから、研究開発の場は残そうよ。」という私の考えは、そんなに悪くないんじゃないかな、と思うのですが・・・。

 

みなさんも、日本の、それから世界のあり方を考えてみて下さいね。考える中で、自分の思いを実現してくれそうな政党や個人がいたら、その人を応援してあげてください。

でも、盲目的にすべて良しと思ったり、相手側を激しく攻撃するような、思考停止状態には陥らないようにしましょう。

 

選挙が終わり、Facebookの記事や「いいね」も平常に戻ってほしいです。

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