銭湯で、なんかいやーな人を見てしまいました。
もしかしたら、大したことのない話かもしれませんが、
なんだか、いやーな感じなのですよ。
この感覚、皆さんはどう思いますか?
銭湯の洗い場で何を見たのか
銭湯の洗い場で、私はふつうに体を洗っておりました。
すると、となりにやってきたのは、おそらく70歳前後の男性。
(男性は、当たり前でしたね。)
彼は、イスにも座らずにしゃがんで洗面器ににお湯を満たし、その中にボディソープ(備え付けの大きなボトル)を10回近くプッシュ。
その時は、
「ずいぶん無駄使いする人だなあ。でも、一度お湯に石鹸を溶かして泡だてて使うのも気持ちいいかもな。」
くらいに思っていました。
しかし、彼の目的は「洗面器洗い」。
洗面器を手でごしごし洗い、
さらにその液をイスにぶちまけ座面をごしごしこすり、
そしてシャワーを全開にしてすすぎながら洗面器とイスをこすり、
ようやく(本人の意識として)きれいになったイスに座り、
自分の頭および体洗いに移行するのでした。
その時感じたこと
この人にとって銭湯の洗い場は、
「誰が使ったかわからない汚い場所」
なのでしょう。
だから、
「納得いくまできれいにして使う」
という行為に疑問はないのでしょう。
全員が同じ行動に出たら、
あっという間にボディソープはなくなるとか、
お湯が無駄になるという感覚は、たぶんない。
この人は、自分さえよければという
典型的な自己中かもしれない。
あるいは、病的な潔癖症?
いや、そもそも潔癖症の人は公衆浴場には来ない。
やはり何も考えない自己中か。
確かに彼の行為は犯罪ではない。
誰かにその行為を咎められたら、
「お金を払って入っているのに、何が悪い。
お湯や石鹸の量に決まりがあるのか?」
と、反撃してくるかもしれません。
でも、世の中には犯罪かどうかを抜きにして、
周囲を不快にさせない、周囲に配慮する行動が必要です。
電車の中で席に荷物を置かないとか、
どれくらいの声の大きさなら不快感を与えないかとか、
スーパーの試食を全部たいらげたりしないとか、
いろいろあるでしょう。
でも、
そんなの関係ないっていいうタイプの人は、存在します。
悲しいですけど。
最近、こんな話を聞きました
毎日同じ山(1時間程度の小さな山)に、
健康のため登っている人の話です。
毎日同じ山道を歩き、
同じ時間にやってくる顔見知りと
花のつぼみを見ながら、
「明日には咲くかな。」
「きれいだろうね。」
と、楽しみにしていたのに、
根こそぎ採っていく人がいるという。
百合の季節になると、
花を抜き捨てて、
根っこを掘り起こして
持っていく人がいるという。
看板を出しても効果がないという。
人がいない時を見計らい、
採っていくのだという。
一度、その様子を目撃した人が声をかけたら、
じいさんが一目散に逃げていったとか。
百合根を自分で食べるのか、
それとも売っているのか、
それはわかりません。
でも、ひとつ言えるのは、
その人にとって、
毎日花を楽しみに来ている多くの人は
関係ないということ。
今の若いもんはという言葉を年配者は口にするが
繰り返し話をしていたことですが、
今のわかいもんは、なかなかやります。
特に、ゆとり世代と呼ばれる人たちは、
学校教育の中でボランティアを叩き込まれた人材です。
他の世代が勉強してこなかった
「人のために行動すること。」に
十分な時間を使って取り組んだ世代です。
自己中じゃないんです。
バイタリティがないですって?
違いますよ。
価値観がそもそも違うだけです。
もちろん若いもんにも年寄りにも個人差はありますよ。
オレオレ詐欺をはじめとする
各種詐欺は若者が多いのも事実ですから。
でも、私の周りを見る限り、
人間的にすばらしい人は
若い人に多いような気がしてなりません。
団塊の世代ジュニアにあたる、50代からその下の40代くらいの人は、
引き締めて頑張らなきゃいけませんね。
風呂の話から、最後はずいぶん話が飛躍しましたが、
みなさんはどう思いますか?