私にとって、かなり難しいテーマになりますが、話をしたいと思います。
でも、今回は「こいつの考えはこうなのか。でも、自分は違う感覚を持っている。」で構いません。というより、私とは違う考えを持った方が、人生うまくいくかもしれません。
私には、先輩後輩という感覚がほとんどありません。
自分でも驚くほどです。
本当にないんです。
だから、職場で同僚が話す言葉にも、相当な違和感を感じています。
よくあるのが、呼び捨て。
「この作業?ああ、大丈夫、佐藤にやらせるから。」
一般的には普通の言葉かもしれません。
でも、自分には何か違うんです。
高校時代、先輩からはよく「生意気なやつ」と言われました。
面と向かって言われなくても、そんな目でこちらを見ているのがわかりました。
いえいえ、決してケンカしてたわけじゃないですよ。ふつうに楽しい部活でした。
先輩方も、私を攻撃したり無視したりという行為はありませんでした。
でも、「生意気なやつ」だったみたいです。
逆に、後輩からは好かれていたようです。(自分で思い込んでるだけ?)
後輩に対しても、同じ学年のように話したし、付き合っていました。
だから、後輩はストレスを感じることはなかったはずです。
その感覚は、基本的に今も変わりません。
いったい、1年や2年早く生きたというのが、どれだけ偉いのでしょうか。もちろん、年長者を敬う気持ちは私だってありますよ。きちんと敬語も使いますよ。でも、年下にも素晴らしい人、どう見ても自分より上だと感じる人がいます。尊敬しちゃいます。年上でも、人としてどうかと思う人だっています。そんな、人格的に怪しいような人に限って、後輩に対して乱暴で高圧的になったりします。
そんな姿を見ていると、
年上だから何だっていうんだ。
という気持ちが芽生えるのも仕方ないです。
じゃあ、今の私はどうしてるか。
それは、
年上も年下も「さん」づけして、ていねいに話すということ。
これが、私のせめてもの抵抗なのです。
中学時代、高校時代、先輩との差は大きなものです。
たった1歳か2歳の差でしかないのに、この差は埋めることのできない大きな溝です。
でも、50歳も過ぎると、5歳くらいの差はないに等しいものです。
70歳くらいになると、10歳くらい誤差の範囲内かもしれません。
これは、私が子ども時代に流行したマンガです。(アニメにもなってました。)
この漫画の中で、こんなセリフがありました。
ぼろぼろにやられた主人公の石田国松を、後輩たちが医務室に運ぶ姿を見て、先輩が言います。
「しかし、不思議なやつだなあ。先輩からは疎まれているのに、妙に後輩からは慕われているんだよなあ。」(原本がないので、ちょっと違うかもしれませんが、意味はこんなところ。)
こんな人間も悪くないと思うのは、私だけでしょうか。